「民主主義には複数の政党と派閥が不可欠」どん底時代の元トップ谷垣禎一が語る自民党再生への道
農林水産大臣、文部大臣など歴任し、2015年から21年まで衆議院議長を務めた、大島理森氏。自民党の衆議院議員になったのは、谷垣禎一氏と同じ、1983年。自民党が下野していた時には、大島氏は幹事長・副総裁として総裁の谷垣氏を支えた。2人の目には、今の自民党はどう映るのだろうか。谷垣氏の番記者を務めた水内茂幸氏が、両氏にインタビューした。※本稿は、谷垣禎一、水内茂幸、豊田真由美『一片冰心 谷垣禎一回顧録』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 自民党は国民のことを 考えているだろうか? 谷垣 今の自民党をどういう風にもう一回、立て直していけばいいかというところに来ていると思うんですよ。どう思っておられますか。 大島 なかなか難しい。むしろ私が谷垣先生に聞きたいぐらいですよ。 お互い、もう現職から離れておりますけども、かつてわれわれが谷垣総裁の下で野党になり、もう一度、自民党の基本に返ろうと立ち上がったようなことをやってほしい。やっぱり最後は「自民党は国民のことをちゃんと考えてくれている」と思ってもらえるか。「自分たちだけでなく、俺たちのことを考えてくれている」と思われるような信頼を取り戻すことが、一番大事な気がします。 われわれは、主権者である国民の皆さんから任されているわけですね。任されている「責任感」が薄れると、襟を正さなきゃならない問題が出てくる。自分たちが作った規則や法律を守ろうとする気持ちが、当たり前ですが、まず一番大事だと思います。もう一度、責任感の再構築ですよね。党だけでなく政治家1人1人まで大事な気がします。制度改正も大事ですが、心構えとしてね。 しかし、野党時代の苦しみを経験していない先生方が非常に多くなってまいりましたね。
● あの大敗から何を学ぶか 国民の声を聞くことが大事 谷垣 そうですね。振り返ると、私らがまだ自民党の政治に参加していない時期も含め、自民党が国民に非難されることが度々ありました。われわれの記憶では、例えばロッキード事件がすごかった。わが家でいえば、おやじはロッキードの後の選挙で落選しています(編集部注/父・谷垣専一は1976年の総選挙で議席を失った)。 それから、私もこのとき苦しかったなと思うのは、リクルート(編集部注/1988年6月に発覚した大規模汚職事件。翌年6月、竹下内閣の総辞職に発展した)や金丸信元副総裁が逮捕された事件(編集部注/金丸は1993年3月6日に脱税容疑で東京地検特捜部に縄を打たれた)の後の選挙ですね。当時、われわれは比較第一党は譲らなかったけれども、細川護煕政権で10カ月、野に下った。私はあのときの選挙でなんとか当選できましたが、非常に苦しい選挙でした。 そして、私どもが野党になった2009年の選挙ですね。ここでも私はなんとか当選しましたが、あのとき近畿の小選挙区で当選できたのは、私と二階俊博さんだけだったんですよ(編集部注/「政権交代」のシングルイシューを掲げた民主党に風が吹き、自民党は181議席減の大敗を喫した)。 大島 私の初当選同期では、私と二階さんしか当選できませんでした。極めてきつかったですね。