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“国家保安法違反第1号判事”が最高裁判事候補に

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ハンギョレ新聞

最高裁判事候補にイ・フング判事を推薦  1985年、ソウル大民推委「旗事件」に関わり 一審で懲役3年、控訴審で執行猶予 当時の一審判事が、退任するクォン・スニル判事  保導連盟事件の初の再審決定など 進歩色が鮮明に…「ウリ法研究会」で活動 30年間の裁判官生活の大半が地方 法曹界「最高裁長官の信望…予見された破格人事」

 キム・ミョンス最高裁長官がクォン・スニル最高裁判事の後任として、釜山(プサン)高裁のイ・フング部長判事を任命要請したことは、裁判所内でも破格の人事と受け止められている。イ候補者は1985年の民主化運動の過程で拘束され、有罪判決を受けた前歴のある「国家保安法違反第1号判事」だからだ。 ■「保安法違反」初の司法試験合格、初の判事  イ候補者はソウル大学公法学科に在学中だった1985年10月、ソウル大学民主化推進委員会事件に関わった。当時の情勢の分析と学生運動の路線をまとめた印刷物が学園街で配布され、この印刷物の名前を取って別名「旗事件」と呼ばれる。当時、ソウル大学法学部学生会の社会部長だったイ候補者ら26人が警察に拘束された。拘束直後には大学から除籍され、一審で懲役3年の実刑を言い渡され、控訴審では執行猶予付きの判決を受けて釈放された。1987年の6・29宣言に伴う特別赦免により同年の2学期に復学し、1990年に司法試験に合格した。国家保安法違反で処罰された運動関係者の学生が司法試験に合格したのは初のことだった。  2005年、警察庁過去事委員会は「旗事件」が「関係者を左傾の容共分子(共産主義の主張を受け入れる者)と決めつけ、民主化運動を弾圧しようとして国家安全企画部、検察、保安司令部が捜査過程に介入したものと判断される」との調査結果を発表した。ソウル大学民主化推進委員会が「容共利敵団体」という汚名を晴らしたのだ。「旗事件」で拘束されたイ候補者に対し1986年1月に実刑を言い渡した一審の判事が、もうすぐ退任するクォン・スニル最高裁判事だった。イ候補者は、それから34年を経て、自分を断罪した判事の後任として最高裁判事候補に指名されたのだ。 ■ウリ法研究会、国際人権法研究会で活動  1993年にソウル地裁南部支部の判事として任用されたイ候補者は、1995年にソウル地裁へ移動した。金日成の伝記の販売者の拘束令状を棄却し、安企部の「ブラックリスト」に載ってもいる。1997年から釜山地域の判事として赴任。その後は今日までソウルに戻って来ていない。昌原(チャンウォン)地裁馬山(マサン)支院では、朝鮮戦争当時、軍事裁判を経て殺された保導連盟事件の遺族が請求した再審を受け入れた。保導連盟関連事件の初の再審だった。  イ候補者は、ウリ法研究会の会員として活動し、キム最高裁長官が会長を務めた国際人権法研究会に所属してもいた。チョ・グク前法務部長官とはソウル大学法学部の82年入学の同期だ。チョ前長官は著書『なぜ私は法を学ぶのか』でイ候補者について「法学部の同期で仲が良く、正義感がずば抜けていた」と評価した。ソウルの裁判所のある判事はイ候補者について、「穏やかな人柄で、地域で長く勤務し、誠実に働いてきた裁判官だと聞いている。キム最高裁長官が最も信頼できる人物を推薦したのではないかと思う」と述べた。イ候補者と勤務したことのある高位裁判官は「政治的な観点からの陣営論理ではなく、少数者の保護や人権保障のための感受性を備えており、地域の裁判官として歩んできたことが評価されることを願う」と述べた。 チャン・ピルス記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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