昭和の「デコトラ界の偉人」は令和のいまも最先端! バスもトラックもド派手に飾る「デコ人生」
デコトラの世界を大いに盛り上げてきた
昭和の時代に日本中に広まったデコトラ文化。1970年代後半に話題となり、そして1980年代後半になると第2次デコトラブームと呼ばれるほどの波が押し寄せた。現在、デコトラの世界に身を置く人たちは、この時代に刺激を受けたという人が多い。少年の時代に憧れ、デコトラに乗るという夢を自身のものとした筋金入りは、令和の時代でもデコトラ界を大きく支えているのである。 【画像】浪速グループのトラックとサロンバスの画像を見る デコトラ専門誌「トラック魂」では、「デコトラ偉人伝」と銘打った企画のなかで、とある人物の生き様を連載している。その人物とは、1980年代に有名なデコトラ、全国浪花会の「乙姫丸」を築き上げた、大阪府在住の井路端武夫さん。マーカーランプやアンドンといった電飾パーツに重点を置き、相棒の大型ダンプをド派手に飾り上げてきた。当時からデコトラの世界では個性が尊重されていたのだが、井路端さんは周囲が思いつかないような飾りを生み出しては、デコトラの世界を大いに盛り上げてきたのである。 「誰かと同じことをやっても、面白くないやん。だからいろいろなことを考えてやってきたんやけど、結局はマネされてしまうわな。まぁカッコええって思ってもらえたからこそマネされるんやろうから、ありがたいことでもあるけどな」。 デコトラ全盛期ともいえる黄金時代を駆け抜けてきた井路端さんは、大阪ダンプのスタイルを見事に確立させた。そして、テレビにもたびたび出演し、一躍時の人となったのである。そんな井路端さんは、大型ダンプとともに「愛姫丸」や「恋姫丸」と名付けた、4トントラックでの仕事も並行して始めた。そして、現在では浪花商事、浪花水産、浪花サロンバスという3つの会社を牽引している。
井路端さんのスタイルはつねに一歩先を行く
「ダンプの世界は範囲が狭いから、地元で独立したらそれまで世話になった人たちに迷惑をかけてしまうやろ。どうしたって、仕事の取り合いになってしまうからな。散々世話になったのに後ろ足で砂をかけるようなことをするんは嫌やったから、トラック(保冷車や冷凍車)で独立したんや」。 そう話す井路端さんは、1986年頃に有限会社浪花商事を設立。平成2年には株式会社として生まれ変わり、現在に至っている。初期の頃の浪花商事と浪花水産のトラックは、黒色のキャビンに白色の冷凍箱を載せるというスタイルであった。当時では珍しい組み合わせであったため、周囲からは「葬式みたいで縁起が悪い」などといわれたこともあったという。それが、いまではデコトラ野郎が好むスタイルになっているのだから面白い。黒色のキャビンがあまりに増えてしまったため、井路端さんは白色を基調としたカラーリングへと改めたという。 「大手運送会社の専属便になったころからキャビンを白色にして、大きめのラメを入れて7色に光るようにしたんや。シャシーはもともと赤色にしていたんやけど、金運を呼ぶイメージで黄色にした。これも当時は見かけへんかったんやけど、最近増えてきたなぁ」。 つねに先を行く井路端さんのスタイルは、デコトラ界を大きく飛躍させてきたことはいうまでもない。井路端さんのような偉人が存在しなければ、デコトラは衰退したことだろう。 どのようなジャンルにもいえることであるが、絶えず進化していかなければその文化は発展しないのだ。時代は令和となり、派手なデコトラで仕事をすることが厳しくなった。それでも、井路端さんは独自のセンスとアイディアで、所有するトラックやバスをカスタムしている。 「浪花商事や浪花水産も昔は派手にしとったけれど、いまは大手の会社にも入れるようなスタイルにしている。営業ナンバーで仕事をしようと思ったら、純正パーツをうまく使ってアレンジするのが一番やな。昔に散々飾ってきたからいえることかもしれんけど、派手にするのに飽きたっていうより、次のことをやりたいって気もちのほうが強いかな。浪花サロンバスも浪花商事と同じカラーリングにしてあるけれど、いまの時代では珍しくシャンデリアをぎょうさん付けた特別仕様やで。でも、単価はよそと同じ。バスの内外装を豪華にしているんは、仕事やなしにわしの趣味やからな(笑)」。 高速道路のサービスエリアや行く先々で羨望の眼差しで見られるという、浪花サロンバスの在籍車。たとえクルマに興味がない人であっても、きっとその独特の美しさとオーラに圧倒されるに違いない。デコトラ界を極めた男が築く、これからの観光バス業界にも大いに注目したい。 <取材協力:浪花グループ>
トラック魂編集部