“もしも徳川家康が自民党総裁選に出馬したら”その陣容は?マネー術から考える
金庫番:今井宗薫
そしてこの豊富な軍資金を管理し適宜投入する金庫番を務めるのは、堺市内の選挙区選出の今井宗薫としておこう。 史実で宗薫の父・宗久は皮革を扱う豪商だったが、当時皮革は鎧や馬具に用いられる〝武具〟。つまり武器商人ということで、同じく馬具の製造から始まった現代のカルティエやエルメス、グッチがすぐ連想できる。ここでの宗薫は皮革バッグやトランク、ベルトなどのトップブランド国内総代理店の大株主としておこう。 父の宗久は織田信長を茶道具沼にはまらせてインフルエンサーに仕立て上げブランドイメージを確立して企業価値を高めることなど朝飯前。7億5000万円以上の価値があったと考えられる茶器「紹鷗茄子」「松島」をポンと信長に献上した(詳しくは本連載第9回「織田信長の茶道インフルエンサーとなった2人の茶人」参照)。宗薫もその伝で父譲りのマネーセンスを発揮し、資金を効果的に決め打ちしていけば、家康支持者を増やしていくなどたやすいことだろう。
選挙参謀:太原雪斎
次に重要なのは総裁選挙参謀だ。ここでは学術界のマルチプレーヤー・太原雪斎を起用したい。 史実では今川義元の軍師として有名な雪斎だが、少年時代の家康が駿河で人質として生活していた頃、彼が住持を務める臨済寺が勉強の場だった。当時の寺院は現代の大学のような「最高学府」で、鎌倉時代に栄西が茶を持ち帰って栽培と紹介をおこなったことが有名だが、雪斎の本拠地はこの茶の栽培が盛んな静岡。栄西と前後して円爾(えんに)という高僧が中国から茶を持ち込んで栽培を開始したと伝わっており、高僧は産業にも大いに貢献する存在でもあった。 現代なら産学共同の研究開発プロジェクトのリーダーに目される人物だ。茶園の収入は戦国時代なら1石の土地から年50万円以上の純益が出た(京・宇治の上林家の場合)と以前計算したが、その税収は今川家を潤した。雪斎は静岡の茶の始祖・円爾と同じ臨済宗の人だから、茶の栽培には農業大学的な立場から大いに助言・指導をおこなったものと考えて良い。 そこで、現代に転生した雪斎はその緑茶栽培農家をバックにした農協の大立者としておこう。 農協の大票田だけでなく、選挙という観点でいえば寺院間のネットワークも緊密で役立つ人脈が八方張り巡らされている。雪斎の場合、京の名刹・建仁寺や妙心寺で修行(のち建仁寺の住持にも就任)したキャリアがあるから人脈という点では申し分ない。その上に彼は主君の今川義元と甲斐・武田信玄、相模・北条氏康の「三国同盟」を成立させた政治力、尾張の織田信秀(信長の父)をさんざんに悩ませてついには三河から手を引かせた軍事的才能も充分過ぎるほど持ち合わせていた。 情報収集と分析、駆け引きを旨とする選挙参謀にはもってこいの人材ではないか。晴れて家康氏が当選したあかつきには文部科学大臣の椅子を任せるのが、学才からしても妥当なのである。