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米沢市・上杉鷹山と東海市・細井平洲~歴史活用によるSDGs、持続可能な地域づくり

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PHP Online 衆知(歴史街道)

ふるさとの先人×SDGs

江戸時代の名君上杉鷹山の師・細井平洲は、江戸で「櫻鳴館」という塾を開きます。 「嚶鳴」とは、鳥が鳴き交う様子を表しますが、平洲は、この言葉を「仲間が集まって教え合い、学び合う」という意味で使いました。 平洲が鷹山の師として米沢藩に迎えられたのは、明和元年(1764)、鷹山14歳の時です。以来、鷹山は生涯に亘り平洲を師として敬い、平洲は鷹山を支え続けました。 2人の事績や思想は、ゆかりの人々やその関連地域で受け継がれ、生き続けています。 2020年は、細井平洲と上杉鷹山の縁にちなみ、愛知県東海市と山形県米沢市が姉妹都市を提携して20年にあたります。 いま、この2つのまちは、平洲と鷹山の何を大事にしながら互いに交流・連携しつつ、SDGsにも通じる「持続可能な地域づくり」を進めています。

『嚶鳴館遺稿』と版木

細井平洲没後、上杉鷹山はその遺徳を偲び、教えを後世に残すために、『嚶鳴館遺稿』(全10巻、漢文体遺稿集)を編纂し、文化5年(1808)に米沢藩校・興譲館から刊行。その版木を鷹山から贈られた平洲の遺族が、翌文化6年に印刷して、嚶鳴館から出版しました。その後、版木は、文久年間(1861~1864年)に、尾張国知多郡半田 (今の愛知県半田市)の豪商・小栗半右衛門の所有となり、昭和の初めに米沢図書館に譲渡されました。 すなわち、平洲の思想と教え、そして鷹山の師に対する思いが余すところなく刻まれた版木は、江戸の親族を経て、幕末に平洲のふるさと知多郡に里帰りし、昭和の夜明けと共に米沢に戻ったのです。 その間、版木を使って、平洲没後百年にあたる明治33年(1900)に知多郡で「半田版」が、昭和3年(1928)に米沢で「米沢版」が印刷されました。

現代語訳の完成

細井平洲をふるさとの先人として顕彰し続ける東海市では、平成12年(2000)に平洲没後200年を迎えるにあたり、様々な記念事業を展開する中で、「半田版」を底本に、小野重よ(にんべんに予)氏による現代語訳『嚶鳴館遺稿 注釈』の出版に着手。2019年、最終巻が刊行されて、全9巻が完成しました。 奇しくも2019年は、東海市制50周年、米沢市制130百周年、上杉鷹山入部(初めてのお国入り)250年という年でした。 そこで、その節目の年の平洲祭に合わせて、『嚶鳴館遺稿』「米沢版」が東海市に贈られ、9月には米沢市の松岬神社の秋の例大祭に合わせて開催された「米沢市市制施行130周年記念フォーラム」で、米沢市に『嚶鳴館遺稿 注釈』全9巻が贈呈されました。 このことにより、東海市には、『嚶鳴館遺稿』の初刷(興譲館刊行)、明治33年半田版、昭和3年米沢版がそろい、『嚶鳴館遺稿 注釈』が完結することで、誰でも、わかりやすく平洲の教えや鷹山の事績に触れ、学べるようになりました。 なせば成る、なさねばならぬ何事も 米沢城址上杉神社 上杉鷹山公詠碑

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