中国人が常に使う「紅いグーグル」百度の正体
世界の覇権をめぐり、アメリカと中国は今や、抜き差しならぬ関係にあります。特に両国の企業間では、熾烈な争いが繰り広げられています。中国ではGAFAMを脅かす、さまざまな企業も登場。ジャーナリストの大西康之氏が上梓した『GAFAMvs.中国Big4 デジタルキングダムを制するのは誰か』を一部抜粋、再構成し、紅いグーグルと呼ばれる百度(バイドゥ)の実態に迫ります。 「デジタル鎖国」の恩恵を受けた最初の会社が「紅いグーグル」、百度(バイドゥ)である。
創業者の李彦宏(ロビン・リー)は中国の起業家の中で指折りのイケメンだ。成績優秀で容姿端麗であるため「外星人(宇宙人)」と呼ばれることもある。 1968年、山西省陽泉市の工場で働く夫婦の家で5人兄弟の4番目として生まれた。リー以外は全員、女の子だった。一人っ子政策の中国では珍しい子沢山の家庭は、決して豊かではなかった。「コネがものを言う中国で貧しい家の子が身を立てるには勉強しかない」と母親に教わったリーは全国統一入試に陽泉市の首席で合格し、名門、北京大学に進む。そして卒業後、アメリカに渡った。
■創業者はアメリカのIDDで働いていた その後、コンピューター科学の修士号を取得、アメリカのダウ・ジョーンズが発行するウォールストリート・ジャーナル紙の子会社でオンライン情報システムを開発するIDDインフォメーション・サービスに就職する。 IDDで働いていた時、リーはウェブサイトに貼られたハイパーリンクの数を元に検索結果の優先度を決める「ランクデックス」というリンク分析の手法を開発した。ほぼ同時期にスタンフォード大学ではラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが同じ考え方で「ページ・ランク」を開発していた。
だがランクデックスはIDDではそれほど評価されず、リーは検索の技術が生かせる道を求め、ポータルサイト大手のアメリカ・インフォシークに移籍する。この頃、のちに共同創業者となる徐勇(エリック・シュー)と出会う。 そしてリーが検索エンジンの開発者として在籍していた1996年、インフォシークは株式上場を果たす。 ネットバブルの目撃者となったリーは、こう考えた。 「中国でも同じことができるのではないか」 1999年、リーが働いていたインフォシークはディズニーに買収され、検索サービスからも撤退してしまう。検索エンジニアのリーは職を失った。この一件がリーの背中を押す。