【特集】北陸新幹線「金沢ー敦賀」延伸計画に遅れ 2023年春までのはずが...地元の期待と落胆
東京ー金沢間を最短約2時間半で結ぶ「北陸新幹線」。開通から5年が経ち、金沢などに賑わいをもたらしています。北陸新幹線は今後、2023年までに福井県敦賀市まで、そして46年までに大阪まで延伸される計画でした。この計画に大きな期待を寄せるのが福井県です。しかし、2020年11月、思わぬ事態が持ち上がりました。福井県の期待と落胆を取材しました。 【映像】「日本の玄関口」だった敦賀に残る歴史の跡
100年以上前、日本からヨーロッパに行くには敦賀港からシベリアに渡るのが最短のルートでした。
「東京ー経由ーベルリン」と書かれた1枚の切符が残っています。 (観光ボランティアガイドつるが 向和夫さん) 「敦賀で波止場で船に乗り換えて、ウラジオストクまで渡って、それからシベリア鉄道でヨーロッパに行けるようになった。敦賀がヨーロッパの玄関口だったんです。」
そして今も残る線路は、1882年に国内で3番目に敷かれたといわれる敦賀港線(2019年に廃線)です。東京~敦賀~ヨーロッパを結び、東京からの旅人を乗せた欧亜国際連絡列車が走っていました。
再現された終点駅の敦賀港駅は敦賀鉄道資料館となっていて、当時の歴史を伝えています。
(観光ボランティアガイドつるが 向和夫さん) 「当時、日本でも有数の規模を誇った機関区のジオラマです。敦賀の琵琶湖側も、あるいは福井に抜ける側も山越えしないといけないので、(蒸気)機関車がたくさん必要だった。
そのためにたくさん敦賀にはSLが置かれていた。」
また、敦賀は「杉原千畝」ともゆかりの深いまちです。第二次世界大戦中にナチスドイツから逃れる多くのユダヤ人のために「命のビザ」を発給。逃げてきたユダヤ人たちは、ここ敦賀港で日本の地を踏みました。 (敦賀市観光部 落合崇係長) 「発給したビザを持って全ての方とは限りませんけれども、敦賀に降り立って、そのあと神戸や横浜に行って、第三国に渡っていったということになります。」 かつて敦賀市は日本の玄関口ともいえる賑わいのある街だったのです。