斎藤佑樹もいよいよ選手生命の危機。崖っぷちの"ハンカチ世代"たち
2020年の野球界で主役級の活躍を見せた選手といえば、パ・リーグMVPに輝いた柳田悠岐(ソフトバンク)や沢村賞を受賞した大野雄大(中日)らの名前が挙がる。 さらにアメリカにも目を向けると、MLBでは前田健太(ツインズ)がサイ・ヤング賞の最終候補に残り、田中将大(ヤンキースからFA)は変わらず安定した投球を披露した。 この4名はすべて1988年度生まれの同学年である。スター選手を数多く生み出したこの年代は、長らく"ハンカチ世代"と総称されてきた。 冠である「ハンカチ」とは、06年夏の甲子園で伝説的な快投を見せた斎藤佑樹(日本ハム)を指す。早稲田実のエースとしてチームを日本一に導いた斎藤は、甲子園のマウンド上で青いハンカチで汗を拭い、その姿が女性ファンの心をつかんで国民的人気を獲得した。 早稲田大に進学し、ドラフト1位で日本ハムに入団後も常に注目を浴び続けてきた斎藤だが、近年はその高い期待に応えているとは言い難い。 特に昨季は右肘痛に苦しみ、プロ入り後初めて1軍での登板がなかった。オフには右肘の故障が靱帯(じんたい)断裂という重い症状だったことを明かし、翌シーズンも契約した球団は痛烈な批判にさらされた。 なぜ日本ハムは手負いの斎藤と契約を結んだのか。考えられる要因のひとつは、右肘を故障する前の斎藤が、近年で最も力のあるボールを投げていたことだ。 大学時代、斎藤は球速アップを求めた時期があり、それ以来左膝が突っ張る上体主導のフォームになっていた。その結果、右肩に強い負担がかかり、故障の原因になった。プロ入り2年目の12年に右肩を痛めて以降、自分の体が思うように動かなくなったもどかしさを本人が語っていたこともある。 それでも、近年は高校時代の下半身主導のフォームを取り戻すべく、フォームや肉体の改造に取り組んできた。19年はその成果が表れ始め、低めに球威のあるストレートが集まるようになっていた。プロの一線級としては依然として物足りないボールではあるものの、光が見えたことは確かだった。 また、これまでスター街道を歩んできた斎藤の"神通力"に球団編成陣が望みをつないだともいえるだろう。「あの斎藤がこのまま終わるはずがない」。それは、あの夏の甲子園で斎藤の投球に魅了された多くの野球ファンの願いであり、祈りでもある。 斎藤は右肘を手術することなく、PRP療法という保存療法で早期回復する道を選んだ。復活の気配が見えなければ、今度こそ選手生命が絶たれることは間違いない。勝負の11年目が始まろうとしている。