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『曽根崎心中』もう一人の主人公としての大阪

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本がすき。

近松が描いた「観音巡り」

映画であれ演劇であれ、そして、私のように小説であれ、曽根崎心中を元にしたコンテンツを作ろうとした人が必ず頭を悩ます問題がある。 第一段「観音巡り」である。 曽根崎心中は四つの段で構成されている。 『日本古典文学全集〈43〉近松門左衛門集』の表記に従うと、「観音廻り」「生玉の場」「天満屋の場」「道行」である。 しかし、物語のなかでこの「観音廻り」がどうにも座りが悪いのだ。 ヒロインのお初が大阪三十三所観音巡りをするというだけの段で、元の文楽でも2017年4月公演はすっぱり割愛されていた。演っても、お初の人形が舞台の上でただちゃらちゃらやっているだけで、現代人には退屈だろう。 だが、それ以外にも、この段には問題がある。 第二段「生玉の場」、冒頭、お初は生玉社(生國魂神社)で徳兵衛と会い、豊後のお大尽と観音巡りをした後だと言うが、地理的に大分無理な話だ。 観音巡りは、当時の大阪では北の端といってもいい大融寺を皮切りにほぼ時計回りに大阪の街を巡っていく。大融寺を時計の0時とすれば、大体時計の六時の位置にあるのがコースの最南端の四天王寺で、最後の札所御霊社は大体十時か十一時の位置にある。 で、お初の勤める堂島の天満屋は太融寺の少し南、生玉社は四天王寺の少し北である。要するに、観音巡りを終えて生玉社に行くと、次の舞台となる天満屋から遠ざかってしまうのだ。 後で詳述するが、観音巡りは徒歩で丸一日かかる。お初と田舎のお大尽は駕籠(かご)も使っていたようだが、駆け足で全ルートを巡るのは体力的に無理である。休み休みになって、結局同じくらい時間はかかる。 朝から始めたとしても、終えた頃にはもう夕方で、そこから生玉社に行ったら、もう夜はとっぷり暮れていないとおかしい。まだ客の回り先が幾つも残っている徳兵衛が通りかかることもないはずである。 なぜ近松ほどのストーリーテラーがこんな無茶な設定にしたのか? 偉い学者さんにとっても難問であるこの問題を突き付けられた作家たちは皆苦しんだようである。 例えば、1978年の映画版「曽根崎心中」は、地理的な辻褄を無視して、札所参りを終えたあと、生玉社の茶屋に一息入れるため行きついたことになっている。ちなみにこの映画、宇崎竜童、梶芽衣子が主演だが、二人とも若いためにあまり上手くない。その代わり九平次役の橋本功が異常なモチベーションとテンションで怪演しており、とにかくまぁ面付きが憎たらしい。「こんな顔のやつに金を貸す方が悪い」と思ってしまったほどだ。 後に宇崎竜童は、自身のバンド、ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドと文楽人形をジョイントさせ、阿木耀子構成・作詞で「曽根崎心中part2」を舞台化する。 実見してないが、その時、阿木が加えた工夫は面白かったようだ。 冒頭、観音巡りの寺を歌い上げていくのを、十八番目の生玉本誓寺までにとどめておくのである。本誓寺から生玉社は場所も近く、次の生玉の場につなげても無理がない。 では、残りの十九番から三十三番をどうしたかというと、心中のあとに歌い上げるのである。 一段目と二段目の断絶を劇全体のなかで消化するうまい方法だと思う。 じゃぁ、お前はどうしたんだ?と聞かれると、実際に小説を見てもらうほかないが、私にとっては一段目を劇中どう位置付けるかということ以上に、なぜ近松ほどのストーリーテラーがこんな無茶な設定にしたのか?ということの方が重要な問題だった。 そこに、この不朽の名作を読み解く鍵があると考えたのだ。

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