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論説コラムー「日本初のワイン」は福岡?(上)

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オルタナ

■日本初のワインはどこか

歴史の前では謙虚でありたいものである。まして、歴史は歪めてはならないと思うが、これが簡単ではない。今回はおしゃれを決め込んで、ワインの歴史について考えてみたい。1973年の「ワイン元年」以降、数次のブームを経て日本の食卓に根付いたワインについて最近、興味深い出来事があった。 長い間、日本ワインの発祥の地は山梨県で、1874年、山田宥教と詫間憲久のふたりが本格的なワイン造りを始めたというのが定説になっていた。ところが、日本ソムリエ協会が教本の2020年版で唐突に、「1627年から小倉藩細川家で葡萄酒が造られていた」との新しい情報を記載したことから、ワイン愛好家の間で「日本ワインの歴史が250年も遡る大変なニュース」「いや、4年間だけで跡形もなく消えており、焼酎にブドウを漬け込んだリキュールのような混成酒では」と熱い論議が沸き起こっているのである。果たして日本初のワインは山梨なのか福岡なのか? 調べてみると、驚いたことに、小倉藩のあった北九州周辺ではこれまでに何度もワイン騒動が起きているのだ。 話は一昔前に遡る。火付け役となったのは大分県の地元紙だ。細川忠興(1563-1646)が小倉に国替えになる前の豊前藩主だった時代に「大分県中津市で日本初のワインを造った」と報じたのである。2010年のことだ。忠興は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将で小倉藩初代藩主、妻がかの有名な、明智光秀の娘、玉子(ガラシャ夫人)だからインパクトは大きかった。 早速中津市に地元ブドウを使った赤ワイン「忠興公」(原料のブドウ品種は小公子)、白ワイン「ガラシャ」(ナイアアガラ)が登場。さらに、復刻版「豊前なかつワイン」も発売された。商魂のたくましさには驚くばかりだが、報道された歴史が間違っていたら、どうだろう。ビジネスそのものの信頼性に関わるのではないか。

「大分・中津市、忠興」という誤解

そして、現実にそれが起こったのである。報道の元をたどると、細川家伝来の美術品や歴史資料を収蔵している東京の公益財団法人、永青文庫(理事長 細川護熙・肥後細川家第18代当主)で「細川サイエンス展」の準備中の2009年に発見された古文書にたどり着く。 古文書の読み解きは容易ではない。字は崩してあるし、社会背景や人間関係もよくわからないからである。しかし、古文書を丁寧に解読すれば、ワインを造ったのは小倉藩初代藩主の忠興ではなく、その三男、忠利(小倉藩2代藩主)であることがわかったはずである。文書に出てくる「斎」を忠興の教養人・茶人としての別名、「細川三斎」と勘違いしたようだ。正しくは、「斎」は細川忠利側近の朝山斎助という人のことである。 また、製造場所も大分県中津市ではなく、豊前国8郡のひとつ仲津郡(現在の福岡県京都郡みやこ町旧大村)が正しい。二重に間違えているのである。 2014年4月に開催された永青文庫の「大航海時代」に関する展示会でも、「忠興がワインを造らせていた」と間違ったまま。この年、ようやく理事長の細川護熙元首相に、製造場所は福岡県という訂正情報が入った。ところが忠興は間違ったままだ。 極めつけは細川護熙元首相が雑誌BRUTUS(2015年5月15月号で「日本ワインの醸造は、細川忠興によって始まった!」というインタビュー記事だ=写真。まさに「殿、御乱心」で、全国に誤報が流れる結果となったのである。 話が横道にそれるが、この号のBRUTUSは「世界に挑戦できる日本ワインを探せ!」という特集を組んでおり、「ワイン日本代表を決める、全50本の試飲会を開催!」というページに3人の日本人ソムリエが登場している。そのうちの一人が、日本ソムリエ協会の教本編集委員長であり、フォローアップ・セミナーで「日本初のワインは福岡」という説を紹介した森覚常務理事である。自らが登場している雑誌に目を通していないとは思えないから、偶然とはいえ、森氏は恐らく5年前に、この福岡ワインの情報を耳にしていたのではないだろうか。 忠興というのは、とんだ誤解だが、意外なことに、この「ワイン騒動」に行政が飛びついた。忠興が初代藩主をつとめた豊前国小倉藩のお膝元、北九州市が2016年になって国家戦略特区「汐風香る魅惑のワイン特区」に設定されたのである。従来より小規模でのワイン製造が可能になったのである。こちらも歴史に便乗した地域振興策と言える。

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