<私の恩人>川平慈英、盟友・今井雅之さんへの誓い
そして、その同じ舞台に立っていたのが、今井雅之でした。今井も、いわば“奈良橋陽子ボーイズ”で。僕はサッカーばっかりやってきた。雅之は自衛官で戦車に乗っていた。互いに演劇とかけ離れた世界にいましたから、2人とも、完全な“飛び道具”と言いますか(笑)。立ち位置も一緒だったので、会って1日目からすぐに意気投合しました。 ただ、雅之の第一印象は衝撃的でしたけどね。あのね、なんと言うのかな…、未確認生物みたいな感じで、森とかにいるとされるビッグフットっていますよね。あれでした。どこのジャングルから出てきたんだと(笑)。でも、話してみると一気に打ち解けまして。 若い頃は、酔っぱらって半ばすっぽんぽんの状態になって机の上で踊る、なんてのは当たり前でした。脱いでナンボ。どっちがどこまでさらけ出すかというバトルみたいになるんですよ。舞台のカーテンコールで2人だけパンツ一枚になって出て行ったり…。アホな話しかないです。 あとね、あんな顔してるんですけど、雅之は甘党なんです。当時、一緒に飲んでて、僕が家まで帰れないと代々木にあった雅之の家に泊めてくれるんですけど、その時の“宿泊代”がプリンだったんです。「プリンさえ持って来たら、泊めてやる…」と。ただ、偉そうに言っても、部屋は四畳半で、触ったら熱い裸電球で。でも、楽しかったですねぇ。 そこから、互いに芸能界に入って、それぞれが活動するようになってからも、よく飲みました。今、改めて雅之のことを思い出すと、普段からアイツが言ってたし、舞台のセリフにもなった「生きて、生きて、生きまくれ」という言葉が頭に浮かんできます。今、こうなってしまったから余計に心に響くのかもしれませんけど、その言葉を噛みしめています。当時はクサいフレーズだなとも思ったんですけど、今は、本当に「生きてナンボなんだな」と思います。
最初は、プライドも高いし、協調性ないし、どこか気負ってるし、それでいて臆病なところもあるし。もっと楽に世渡りをすればいいのにとも思いました。僕なんか三男坊だから、人の顔を見て、なんぼでも相手に合わせていくんですけど、雅之はそういうところがなかったから、生きるのが難しそうだなと思うところもありました。でもね、あそこまで自分のやりたいことを曲げずに生きたというのは、本当にすごいと思いますし、うらやましいなぁと思います。 悲しい話になりますけど、僕が雅之の“変化”に気づいたのは、テレビが最初でした。当時、雅之が出ていたTOKYO MX「バラいろダンディ」だったんですけど、画面に映っている雅之が明らかに痩せている。すぐ電話をしました。 「…ん~、やっぱり、慈英、分かった?いや、ちょっとシャレにならないんだけど…、いや、ま、でも、全然大丈夫なんだけどね。お医者さんに聞くと、もうちょっと放置してたら危なかったみたいでね」と。なんとも、微妙な返事だったんで、それ以上突っ込んでは聞けなかったんですけど、その後、周りの人間から“がん”という病名を聞きました。 それを聞いて電話をしたら、あれは何だったんでしょうね、雅之の声を聞いた瞬間に号泣しちゃいまして。自分でも、まさかそんなことになるとは思ってなくて、街中の銀行のキャッシュディスペンサーのところで電話をかけたんですけど「バカ、まだ死んじゃいねぇよ!」と雅之の第一声があった途端、何の涙なのか、周りをはばからずボロボロ泣きました。向こうは打ち上げ会場だったみたいで、周りの人に「おい、慈英、泣いちゃってるよ!」とうれしそうに言ってるんですけど、こっちは涙が止まらなくて。