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原監督「通算1035勝」で45年越しの「長嶋超え」…波乱万丈の軌跡

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現代ビジネス

 ついに原辰徳が“長嶋超え”を果たした。  巨人の原監督が14日の広島戦で通算1035勝目を挙げ、長嶋茂雄終身名誉監督の持つ1034勝を超えた。新型コロナウイルス感染拡大の影響により約3ヵ月遅れで開幕した2020年プロ野球は、原巨人が開幕ダッシュを成功させたが、先週から雨天中止を挟み連敗が続き、ペナント争いも混沌としている。 【写真】 PL学園・野球部の「ヤバすぎる日常生活」  百戦錬磨のこの男は、いかに過密日程の混セを戦うのだろうか? 監督通算14年目にして、8度のリーグ優勝、3度の日本一と圧倒的な実績を残してきた名将。選手時代は「勝負弱い4番打者」と批判されてきた男が、監督としては異様な勝負強さを発揮している。原は7月22日で62歳になるが、その野球人生は常に偉大なミスタープロ野球と比較され続けてきた。  1958年(昭和33年)、長嶋が巨人に入団した年に福岡で生まれた少年は、やがて16歳で“ナガシマ2世”と呼ばれる。1974年(昭和49年)夏、東海大相模高(神奈川)で1年時から「5番サード」で甲子園に出場。父・貢さんとの父子鷹の話題性に爽やかな甘いマスクで高校球界のアイドルとなり、この年限りで引退するスーパースター長嶋茂雄の後継者として過剰とも思える期待を背負うことになるわけだ。当時の雑誌には派手な見出しが躍っている。 ---------- 『“長島2世”の出現! 女性ファンを熱狂させる原辰徳選手16歳の素顔』(「週刊平凡」75年7月3日号) 『背番号3は彼にゆずると長島監督をうならせた原辰徳三塁手のすべて』(「週刊現代」75年8月7日号) (※当時は長島表記) ----------

「野球をやるなら巨人か東海大」

 雑誌は時代を映す鏡だ。本コラムでは80~90年代のメディアが名監督になる前の「原辰徳」をどう報じてきたのか、そして長嶋茂雄とどう比較してきたのか、膨大な資料とともにその野球人生を振り返ってみよう。  まず高校3年時のドラフト会議前に「野球をやるなら巨人か東海大ですね」(「月刊平凡」76年12月号)と語る18歳のタツノリは、もし巨人に指名されたらという問いに「ジャイアンツだったら行かしてくれないかと、お父さんを説得するでしょうね。お父さんは大学進学を強くのぞんでいるけど、ナガシマジャイアンツで野球をやるという魅力も捨てきれないんです」なんて素直に答えている。  だが、ドラフト3日前の11月16日に松前重義東海大総長と父・貢氏が記者会見を開き進学を明言(貢氏の同大学野球部監督就任も発表)。それでも、長嶋監督が「原君はぜひ欲しい選手だ」なんてラブコールを送り、一時は巨人もドラフト外での電撃獲得に意欲を見せたが、当初の予定通り高校球界のアイドルは東海大へ進学した。  77年春、東海大学1年生の原は、首都リーグ開幕日に5000人のファンや親衛隊が見守る川崎球場で「3番サード」でデビューすると4打数2安打の活躍。『羽ばたく首都の若大将』(「週刊ベースボール」77年5月9日号)では、ハワイ遠征で真っ黒に日焼けした横顔から甘さがすっかり消え精悍そのものと報じ、これまでの20倍以上の客を呼ぶ首都リーグの救世主扱いで“若大将”というニックネームも定着した。  3年時には本塁打と打点の二冠王に輝いた大学球界のスターは、普段は後輩と同部屋の寮生活を送り、休日の息抜きはポロシャツやGパンをショッピング。だが、そんな平穏な青春時代も長くは続かない。再び運命のドラフト会議がやってくるのだ。 ---------- 「Nが去りOがバットを置いたいま、転換期のプロ野球を救うのはタツノリしかいないの声がふくらむ。実力、人気、スター性。果たしてタツノリは“80年代の牽引車”になれるか」(「週刊ベースボール」80年12月8日号) ----------  1980年(昭和55年)ドラフト会議前は異様な雰囲気だった。10月21日に長嶋監督が男のケジメで辞任し、世界の王も11月4日に現役引退会見。球界は巨人V9時代の象徴、ONコンビに代わる新たなスーパースターを欲していた。  ドラフト直前の週刊ベースボールには、監督辞任したばかりの長嶋茂雄本人からの特別寄稿「君は私の後継者になれる」が寄せられているが、ミスターは「なんとか巨人が原君を指名できるように祈っている」と再度ラブコール。  もちろん当時のドラフトに逆指名はなく、指名重複は抽選制のため、巨人に入れるかどうかは分からない。それでも、マスコミは「巨人・原辰徳」誕生に向けて盛り上がりを見せていた。  結果的に1位で4球団競合の末に巨人・藤田元司新監督が当たりクジを引き当てるわけだが、ONのあとは頼んだぞタツノリ……って、原辰徳は史上最も無茶ぶりされてプロ入りしたルーキーなのではないだろうか。 ---------- 「こうなることは、自分は初めから信じていました。ぼくはクジ運が強いのだと。ぼくはずっと長島さんに憧れ、目標にしてきました。ですから、やはり長島さんのように、ここ一発というときに打てる選手になりたいですね」(「週刊現代」12月11日号) ----------  持ち前のポジティブさ溢れるコメントで満面の笑みでVサインをかざす若大将。そこからは怒涛のジャイアンツ原報道の始まりだ。  すかさず報知新聞は『原 巨人入団 長島超えろ若大将』と街で号外を配り、週刊読売では『新巨人の星 原辰徳物語』の短期集中連載が始まる。とにかくあらゆるメディアが緊急総力特集を組み『原辰徳入団! 新巨人軍構想』(「週刊現代」12月11日号)では、ナガシマ退団で6円安、王引退で5円安を記録した後楽園の株価が、原を引き当てた日には始め値の366円から19円高の385円まで跳ね上がった様子をリポート。背番号8については「王と長島の後継者という意味から背番号は、1と3の間の2番をつけさせたい」(野球評論家・有本義明氏)なんて声も。タツノリフィーバーは日本列島を揺るがした。

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