歴代政治映画ベスト20ー米政治制度を描いた指折りコメディ&スリラー傑作選
【歴代政治映画ベスト20】5位→1位
5位『スミス都へ行く』(1939年) フランク・キャプラ監督が作る映画はどれも、理想主義者が主人公であることが多い。オスカー受賞監督は、「こうした英雄はみな信念を持っている……人類の善、生まれながらの善に対する信念だ。彼らはそれを地で行き、信じていた」と言い、そうした楽観的態度にぴったりな器量をジェームズ・スチュワートの中に見出した。彼が演じるジェファーソン・スミスは、小さな町で生まれ育った典型的な楽観主義者。後に連邦上院議員に当選するが、ワシントンの政治の腐敗ぶりを目の当たりにして失望する。当時は反アメリカ的だとして批判の声も上がったが、愛国主義あふれる名作は今もなお先見の明をもって、崩壊した制度の前には楽観主義にも限界があることを伝えている。そこでは利害関係者とエリート集団が結託し、スミスが提案する変化の実現を阻み続ける。キャプラ監督のヒューマニズム作品をお涙頂戴モノだと受け流す前に、スミスの信念と誠実さが直面したハードルの数々を考えてほしい――あれほど風当りが激しいからこそ、とことん芯を貫く姿に心打たれるのだ。―T.G. 4位『候補者ビル・マッケイ』(1972年) 政治が人間の精神を蝕むことはあり得るだろうか? 答えは皆さんご存じの通り。だがマイケル・リッチー監督の風刺映画が1972年に公開された当時は、まさに目からうろこだった。いつものようにカメラ映えするロバート・レッドフォードは、たまたま元知事を親に持つ弁護士ビル・マッケイ役。ピーター・ボイル演じる百戦錬磨のストラテジスト、マーヴィン・ルーカスから、現職の共和党上院議員の対抗馬として最高の候補者として見出される。ハンサムで聡明――古風で疲弊した対立候補の後釜にはピッタリだ。選挙戦が展開するにつれ、マッケイは目に見えて生気を失っていく。与えられた役回りを演じてはいるものの、それ以上でもそれ以下でもなく、ただ演じているに過ぎない。この映画が政治の行く末をはっきり予見していたことは言うまでもなかろう。政治家を信用できると信じ込んでいた時代に、『候補者ビル・マッケイ』はすべてが仕組まれていることを証明した。―E.Z. 3位『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(1964年) 当初スタンリー・キューブリック監督はこの映画で、核兵器による地球滅亡の脅威を真剣に描くつもりだった(その手の作品が見たいなら、シドニー・ルメット監督の『未知への飛行』を見るべし。同じ年に公開された、やはり政治映画の傑作だ)。代わりに監督と脚本家のテリー・サザーンは方向転換し、米ソが互いに攻撃し合う最終戦争の不条理劇へと変え、ブラックコメディの決定版とも言える作品に仕上げた。人類が自ら破滅的な終焉に向かう中、皮肉なほど陽気な「また会いましょう」がBGMとしてに流れる映画を他にどう形容しよう? 機械仕掛けの義手と格闘する時以外は大量殺人のデータを並べ挙げる元ナチスの科学者、ストレンジラブ博士役のピーター・セラーズの怪演ぶりはご記憶の通り。とりわけ今注目してほしいのが、セラーズが演じる3人のキャラクターの2人目、メルキン・マフリー大統領だ。リベラル寄りの最高司令官は、民主党の大統領候補だったアドレー・スティーヴンソン氏をうっすらベースにしている。ロシア首相との会談で、アルマゲドンを目前にすればもっとも権力のあるリーダーでさえも無力だ、と力説する彼は、他の政治家や外交官、軍服を着た変人奇人よりマシな方だ。みな完全なノロマか、あさましい戦争バカのいずれかで、そこから今も語り継がれる最高のオチへとつながる。「諸君、ここで喧嘩している場合じゃない――ここは作戦会議室なんだから!」 2位『イン・ザ・ループ』(2009年) 「おはよう、僕のかわいい子ちゃんと坊やたち」というセリフで始まる映画だからといって、警戒しなくていいわけではない。アルマンド・イアヌッチ監督のゲスな政治風刺は、後に同氏が送り出すTVシリーズ「Veep」の予行練習というだけでは終わらない。とはいえ、どちらも現実社会を下敷きにしたパロディで、辛辣なパンチが満載だ(この映画で登場するあだ名のごく一部を挙げると、「怪物ヤング・ランケンシュタイン」「場をしらけさせるミンチ機」「壊れたおまんこども」「子犬のプードルとヤる恐ろしい奴」等)。米英軍と敵国(国名は出てこない)の戦争勃発前夜という設定で、イアヌッチ監督は公開当時、「ごく一部ながらもマトモな人間も出てくる」と語ったが、それでもかなり控えめな発言だ。国防省の上層部は政府の公式見解に手を加え、訪米中のイギリス議会代表団は首都で自慰行為に及ぶなど恐れ多いと、協議の末に「ローションを塗った馬のイチモツを決の穴に突っ込む」。こうした発言も、同僚との会話としてはギリセーフだ(おすすめはしないが)。政治的ユーモアがお好みでない方も、スコットランド政府報道官が速球のごときスピードで、変化球のごとくヒネリの効いた侮辱を並べるシーンは必見。オペラのことを「助成金の無駄遣い! 外来もの! くだらん! 母音ばかりだ!」というセリフだけでも見る価値ありだ。クソッタレ、バイなら!―Jason Newman 1位『大統領の陰謀』(1976年) 新聞社を舞台にした名作ドラマは、政治スリラーとしても秀逸だ。このオスカー受賞作は近代の歴史的事件を題材に、アメリカの根本の永続性を鮮やかにとらえ、確信させた。ジャーナリストのカール・バーンスタイとボブ・ウッドワードの著書を映画化したこの作品の結末に、疑問を挟む余地はない――周知の通り、粘り強いワシントンポスト紙の記者はウォーターゲートホテルの強盗騒ぎとリチャード・ニクソンを結び付け、結果としてニクソンは辞任に追い込まれる。だがこれほど観客の心をつかんだ映画はないだろう。アラン・J・パクラ監督と脚本家ウィリアム・ゴールドマンが、緊迫した捜査の過程を描いた作品にしたからかもしれない。ダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォード演じる気難しい記者同氏のデコボココンビは、足を使って実名で証言してくれる情報源探しに奔走する。あるいは、殺人鬼役候補の筆頭に挙がる性格俳優が勢ぞろいだったかもしれない。そのうちの1人ジェイソン・ロバーズは、頭の固いポスト紙のベン・ブラドリー編集長を演じてアカデミー賞助演男優賞に輝いた。あるいは映画に携わった全員が、ウォーターゲイト事件の隠蔽を民主主義の原則を覆す喫緊の危機ととらえ、熱い愛国心と純粋なプロフェッショナリズムを絶妙なバランスで描いたからかもしれない。そうした警鐘は、公開から50年近く経った今もなお色褪せない。しいて言うなら、民主主義の危機はかつてないほど顕在化し、凄惨の度合いを増している。おそらくそれもあって、『大統領の陰謀』をあらためて見てみようという流れが生まれているのだろう。最終的には正義が勝ち、悪者は懲らしめられることを再確認したいのだ。そうした希望しか残されていない時もある。―T.G.
Rolling Stone