歴代政治映画ベスト20ー米政治制度を描いた指折りコメディ&スリラー傑作選
【歴代政治映画ベスト20】15位→11位
15位『最後の勝利者』(1964年) 政界の力関係に精通し、ワシントンDCで食されるソーセージの製造方法まで知り尽くした男ゴア・ヴィダルが、自ら執筆した芝居を映画に脚色。人間くさい2人の候補者がしのぎを削り、所属政党の大統領候補指名を勝ち取るまでを描いている。ヘンリー・フォンダ演じるウィリアム・ラッセル元国務長官は、精神疾患や結婚生活の問題が支持獲得の障壁にならないようにと願っている。クリフ・ロバートソン演じるジョー・キャントウェル上院議員は反共主義的なたわごとを並べ立て、強固なポピュリスト基盤を築き上げる策士だ(実存した下院議員に酷似しているとしても、決して偶然ではない)。両者はそれぞれ相手の黒歴史のネタを入手する――具体的にはラッセルの精神鑑定書と、キャントウェルが従軍時代に「不適切な」関係を持っていたという噂を裏付ける証人だ。そこで疑問が持ち上がる。こうしたいかがわしい情報を利用して優位に立とうとするのは倫理に適っているのだろうか? かつて政界にも、道徳観が尊ばれた時代があったのだ。―David Fear 14位『オール・ザ・キングスメン』(1949年) ルイジアナ州知事ヒューイ・ロング氏の生涯を下敷きにしたロバート・ウォーレン・ペン氏の著書は、ピューリッツァー賞を受賞する前から次のオスカー候補になるだろうとハリウッドで噂されていた。事実ロバート・ローゼン監督による名作はアカデミー賞7部門にノミネートされ、作品賞を含む3部門を受賞。政治ドラマ映画の決定版に名を連ねた。だがそうした受賞歴を抜きにしても、私欲にまみれた実力者から、悪事に長けた策士、マスコミ各社にいたるまで、あらゆる面々が政界トップを決める(あるいは退ける)プロセスに加担していることを見事に描いた作品だ。ブロデリック・クロフォードが良い意味で誇張して演じたウィリー・スタークは、古今東西問わず、個人的メリットのために「人民代表」の仮面をかぶる大物政治家を思い起こさせる。―D.F. 13位『チャンス』(1979年) 作家ジャージー・コジンスキーの小説をハル・アシュビーが映画化した作品は、精神疾患を抱えた男性が主人公。厚顔無恥に甘んじる現代社会を映すロールシャッハ・テストとも言える主人公の汚れを知らない禅の精神は、70年代後期の痛いところを突いていた。ピーター・セラーズが穏やかな虚無の雰囲気をたたえて演じる主人公チャンシー・ガーディナーは浮浪者から権力の中枢へと迷い込み、つかみどころのないワスプ的な見解と、何も語らぬ空気のような存在の薄さで、無意識のうちに人々を(アメリカ合衆国大統領さえも)魅了し、やがて政界入りする。観客の襟元を掴んで無理矢理引き込むのではなく、オブラートに包んだユーモアへといざなう『チャンス』は、政治映画にしては不気味なほどの聡明さを称えている。波風ひとつ立たない水面に映るアメリカは、無関心を決め込んで、自虐的にやり過ごすことを選んだようだ。―Jon Dolan 12位『野望の系列』(1962年) 国務長官の突然の死で、大統領は政界の盟友ロバート・レフィングウェルを後任に抜擢する。この新たな閣僚候補を演じるのが他でもない『怒りの葡萄』のトム・ジョードことヘンリー・フォンダであることから、まさにうってつけの人選だと思われたかもしれない。だがレフィングウェルはすでに議会内でありえないほどの敵を作っていた。「決して協力することはなかった……ごくありふれた、政治的に有利な場合でさえも!」 これを合図に、上院議員の各派閥は力を尽くして――オリジナルタイトルにあるように、「助言(advise)と同意(consent)」を駆使して――レフィングウェルの長官指名を阻みにかかる。アラン・ドゥラリー氏のベストセラー小説をオットー・プレミンジャー監督が映画化したこの作品を、ハリウッド史上初めてゲイバーが登場した映画として記憶している人も多いだろう。だが監督は実際の連邦議事堂でも撮影を敢行し、DC版『ペイトン・プレイス』総集編とも言えるこの作品をさらなる高みに導いた。1960年代初期でさえ、裏切りや民主・共和入り乱れる論戦はごくありきたりの日常だったのだ。―D.F. 11位『ハイスクール白書 優等生ギャルに気を付けろ!』(1999年) 『ある朝フェリスは突然に』からわずか13年後、マシュー・ブロデリックはアレクサンダー・ペイン監督の『ハイスクール白書』で、情け容赦ない高校生活へ戻って来た。ただし今回の役どころは、歴史公民を教える軟弱教師ジム・マキャリスター。彼が監査役を務めることになった生徒会長選挙は、クリス・クライン演じる脳みそ筋肉のポール・メッツラーと、リーズ・ウェザースプーン演じる向上心に燃える優等生トレイシー・フリックの一騎打ち。映画の終盤、マキャリスターはメッツラーが有利になるよう偽装工作し、その過程で教師人生を棒に振る。ペイン監督はこの作品をアメリカ政治の縮図ととらえたが、のちにヒラリー・クリントン氏がトレイシー・フリックそっくりだという(しばしば不当な)意見が1万件も出てきたり、選挙が盗まれたという主張が21世紀の政治で日常化することになるとは思いもしなかった。しばらくこの映画とご無沙汰だった人は、あらためて見てほしい。フリックは我々が記憶しているような悪人ではなく、欠点はあるものの英雄だ。一方マキャリスターは怪物だ。―Andy Greene