ピンクが好き=かわいい? だから私はずっと「ピンクが好き」と言えなかった
わたしには「ピンクが好き」と思うために「かわいい」という言葉が必要で、「ピンクが好き」と言うために自分は「かわいい」と思うことが必要だったーーー。 これはなんてことはない、色と「かわいい」にまつわるわたしの小中学生回顧録だ。 ミス東大2018、ミスiD2020のえにさんが今胸を張って「ピンクが好きだ」と言えるようになった理由とは?ハフポスト日本版に寄稿しました。 【文:えに 編集:榊原すずみ/ハフポスト日本版】 ------------ 色という視覚的要素はそのまま本人の印象・本人らしさに繋がることも多い。だから好きな色は何?という質問の答えは結構重たいのだ。でも、いやだからこそ、好きな色なんてものが本当に自分自身の感情なのかはいつだって怪しい。純度100%でそれだけということはきっと、絶対、ないだろう。 わたしには「ピンクが好き」と思うために「かわいい」という言葉が必要で、「ピンクが好き」と言うために自分は「かわいい」と思うことが必要だった。水色が好き緑が好きピンクが好き、その時それぞれどの答えも本心だったけど、それだけではなかった。そしてそれは今も。 これはなんてことはない、色と「かわいい」にまつわるわたしの小中学生回顧録だ。
自分が「かわいい」のか「かわいくないのか」考えたこともなかった
今ならわかることがたくさんある。誰かや何かに一ミリも影響を受けていない意見なんて現実的に不可能だし、それらも込みでの自分の感情だというのも、今はちゃんとわかっている。だから、単に「純度」の話をしているわけではない。問題なのは、わたしがそれらをちゃんと認識出来ていなかったこと、純度100%なんて無理だと客観的に理解やあきらめを知らないまま、自分らしさを考えようとしていたことなんだと思う。 今はその点に自覚的であるという事も含めて、振り返りの回顧録だから後付けの部分も交じっているのだろう、と最初に注釈をつけておく。 わたしはおそらく恵まれていた。小さい頃容姿について少なくともわたしがわかるように露骨に「かわいくない」と言われたことはなかったし、だから自分のことを「かわいくないんだ」と思ったことはなかった。というよりは、自分がどっちなのかなんて考えたことなかった、が正しいと思う。逆に、自分のことを「かわいい(かもしれない)」とも、思ったことはなかったから。 たぶん、自分は「かわいい」のか「かわいくないのか」、という視点を持ち始めたときから、好きな色はなに?という質問の答えは不純物を含み始めるのだ。 つまりは「かわいい」というのが、当たり前かもしれないけどいかに視覚的要素の影響の多いものであるのか、そしてそのうち色というパッと見の印象に関わるものの影響が特に大きいのか、ということだと思う。そしてこれはなにも「かわいい」だけに限ったことではない。 「好きな色は?」という問いに対する答えで、その答えに伴って自然と自分の身の回りに集まってくるその色で、外から見た自分をコントロールしようとすることがある、それができる、という話でもあるのだ。またそれは、時には逆に、その答えで、周りに与えられた役割を果たそうとすることもあるだろう、ということでもある。