バブルを彩った"直線番長" 速い、安い、カッコいい三菱GTOを評論家がほぼほぼ酷評した理由
本当にいい時代だった
三菱が凄かったのは、前述のとおりモデルライフ中にしっかりと手を入れてクルマを進化させたことだ。日本では台数的に苦しい面もあったが、GTOのメインマーケットである北米での評価、人気とも高かったから予算を割くことができたのだろう。 北米では、オープンモデルも発売されたり、提携関係にあったクライスラーでは、ダッジステルスが人気となるなど、スポーツモデルとして失敗作では決してない。 アメリカ志向のクルマは日本では売れない、という定説めいたものがあるが、GTOもその典型的な一台と言えるだろう。 ただ効率重視で、『売れないから作らない』、『日本で販売しない』という今に比べて、バブルの勢いがあったとはいえ、非常に夢のある時代だったと痛感させられる。1990年代の日本のスポーツカーをオモシロくしてくれた存在であることは間違いない。 【三菱GTOツインターボ主要諸元(デビュー時)】 全長4555×全幅1840×全高1285mm ホイールベース:2470mm 車両重量:1700kg エンジン:2972cc、V6DOHCツインターボ 最高出力:280ps/6000rpm 最大トルク:42.5kgm/2500rpm 価格:398万5000円(5MT) 【豆知識】 三菱エクリプスはGTOがデビューする前年の1989年に初代モデルが登場。アメリカマーケットをターゲットとしたスペシャルティカーで、日本にはGTOの2カ月前に販売を開始。最上級モデルはギャランVR-4と同じ2L、直4ターボ+4WD。全長4395×全幅1690×全幅1320mmと日本でも扱いやすいサイズということで一定数が売れた。提携していたクライスラーではイーグルタロン、プリムスレーザーとして販売されていた。 市原信幸 1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。 写真/MITSUBISHI、CHRYLER