サザエ・マスオお見合いの場所! 都心のデパート大食堂が一大「行楽地」だった思い出
休日に家族で出かける場所だった
かつてのデパートの名物といえば大食堂。 今では、休日に家族で出かける先は郊外の巨大なショッピングモールの方が多数派かも知れません。でも、昭和から平成に時代が変わる頃まで都心のデパートが、その役割を果たしていました。 【調査】コロナ禍の「集客ランキング」1位は意外な百貨店 家族連れでデパートを訪れて楽しむという文化が始まったのは大正時代であることが知られていますが、これは日本独自のものでした。 当時、欧米のデパートは女性客を主体としたもの。それに対して日本では各々のデパートが家族連れで楽しめる行楽の場として集客することを考え、そのための要素を発展させていったのです。 その代表的なものが、かつてのデパートの象徴でもあった大食堂です。日本で最初に食堂を設けたデパートは、日本橋(現・中央区)にあった白木屋でした。 現在のコレド日本橋のところにあったデパートで、1999(平成11)年に惜しまれつつ閉店した東急百貨店日本橋店の前身です。 白木屋では1903(明治36)年から、お汁粉やそば、すしなどの軽食を食べられる店舗を置いていました。これがデパートにおける食堂の最初の例と言えます。 その後、白木屋では1911年の改装に際し、これを拡張する形で100席あまりの大規模な食堂をつくっています。この食堂では昼食50銭、サンドイッチの白木屋ランチは20銭、お汁粉5銭、ゆで卵2銭などのメニューがそろっていました。
サザエさんのお見合いは1956年掲載
1903年に白木屋が食堂をつくって以降、ほかのデパートでも食堂が設けられるようになり1907年には松屋が、1908年には大丸が相次いで30名程度の食堂を設けています。 三越は食堂に熱心で、1907年に日本橋本店に食堂を開設した後、徐々に食堂の面積を拡張していきました。 1922(大正11)年には300席あまりの第二食堂を開業。1927(昭和2)年になると、地階・5階・6階に合計で1000席あまりの食堂を備えるに至りました。この席数からも、当時のデパートがどれだけ行楽地として賑わっていたかがわかります。 この三越の食堂で1930(昭和5)年から提供された「御子様洋食」が、お子様ランチの始まりです。現在も日本橋本店新館のレストラン・ランドマークで食べることができます。 当時のデパートの大食堂を描いた作品として欠かせないのが、長谷川町子さんが『サザエさん』で描いたサザエさんとマスオさんのお見合いでしょう。 このお見合い、デパートの大食堂で行われています。このエピソードが最初に掲載されたのは1956(昭和31)年の『別冊サザエさん』です。このほかにも『サザエさん』にはたびたびデパートの大食堂が登場し、当時の風景を今に伝えてくれています。 『サザエさん』で描かれたこの、デパートの食堂でのお見合い。現代の価値観ではちょっと奇異に感じます。 でも、この当時のデパートというのは行楽の場。それも、たまの休みにおめかしをして出かける場です(よそいきの服というものも最近はあまり意識されなくなりました)。ゆえに、お見合いの場として相応しい格があったわけです。