「定年」が「停年」だった時代を知っていますか? 日本人の強い老後不安の原因がわかった! ーー酒井順子
「老い本」(おいぼん)とは、老後への不安や欲望にこたえるべく書かれた本のこと。世界トップクラスの超高齢化社会である日本は、世界一の「老い本大国」でもあります。 勤め人であれば迎える「定年」はかつて「停年」と表記されていました。「停年」だった明治時代からの「定年年齢」を追っていくと、日本人の老後不安がとりわけ強く、老い本を頼りにせざるをえない現状が浮かびあがってきます。 【エッセイスト・酒井順子さんが、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、あらゆる老い本を分析し、日本の高齢化社会や老いの精神史を鮮やかに解き明かしていく注目の新刊『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)。本記事は同書の第二章「老いをどう生きるか」の第二節「定年クライシス」より一部抜粋・編集したものです。】
「停年」時代から存在した「定年クライシス」
定年本は、老い本ブームの今だから盛んに刊行されているわけではない。1950年代から、『停年の設計』(1957年)『停年前後の財産計画』(1959年)といった、現代にもつながる停年(当時はこう書いた)についてのハウツー本は刊行されている。 1950年代には、雑誌にも「サラリーマンの終着駅『停年』」「停年を十年延長せよ」「停年への抵抗」といった記事が見られるのだ。 老いの入り口に立った人々を襲う定年クライシスは、「停年」時代から存在したのであり、それをいかに乗り越えるかについて、日本人は戦後ほどない時期から苦慮していた。 しかしこの「停年」、冷静に見るとかなりシビアな言葉である。会社人生を停止させますよ、ということなのだから。 「停年」が「定年」に変化したのは、「停年」という言葉から、強制退職のムードがあまりに強く漂ったからだろう。「会社員人生を無理に停止させるわけではありません。『定められた年』なのですよ」というニュアンスを含んだ書き換えによって、企業側は強制退職の残酷性を巧みに弱めようとしたのではないか。 とはいえ漢字を換えたからといって、定年の重さが消えるわけではない。むしろ日本人の平均寿命が延びるに従って、定年の重みは増すばかりである。