【特集】若者から若者へ『ライブ配信』で伝える震災の記憶 当時生後2か月の乳児だった女性が父親と同じ「語り部」に
発生から27年となった阪神・淡路大震災。震災を知らない世代が増える中で、当時の記憶が薄れつつあるのも事実です。そんな中、震災当時はまだ生後2か月だった女性が記憶を語り継ごうとしています。 【映像】震災の語り部としてスマホを通じてライブ配信する米山未来さん
「震災の記憶がどんどん薄れていっている」
現在27歳の米山未来さん。会社員として働く傍ら、スマートフォンを使ったライブ配信を行っています。米山さんのライブ配信は日常の明るい話題でいつも盛り上がります。 【ライブ配信する米山未来さん】 「みなさんきのうは楽しいクリスマスでしたか。高校の友達が2人会ってくれて、シャンパンじゃなくて日本酒を空けましたね」
そんな米山さんにはライブ配信を通じて伝えたいことがありました。 (米山未来さん) 「私にとって1月17日はすごく大きな日。だけど、どんどん(記憶が)薄れていっているのかなと。興味関心も薄れているのかなと感じて、これはダメだと」
「記憶がない人が何を話すの?」と批判も
27年前の1月17日、兵庫県の淡路島北部・旧北淡町を震度7の地震が襲いました。米山さんはこの町に住んでいました。当時は生後2か月で震災の記憶はありませんが、家族や知人らから震災の話を聞いて育ちました。
大学への進学を機に東京に移り住んだ米山さんは、あることに衝撃を受けたといいます。 (米山未来さん) 「1月17日当日でもまったく阪神・淡路大震災の話は出てこない。1月17日に『どこ出身だっけ?』って話をされた時に『淡路島だよ』と言っても、『へー玉ねぎのところだよね』と。それだけで終わってしまったり」
米山さんは3年前に阪神・淡路大震災の記憶を語り継ぐことを決めました。しかし批判を浴びることもあったといいます。 (米山未来さん) 「『記憶がない人が何を話すの?』という厳しい意見が届いたことも実際にあった。語り部は実体験を話すというイメージが強いのかなと」
語り部である父親の“記憶”も語り継ぐ
米山さんが語り部になろうと思ったきっかけはもう1つありました。父親の正幸さん(55)は淡路島にある北淡震災記念公園の総支配人を務めていて、16年前から語り部として被災した経験を伝えています。父親が書き記した当時の記憶を未来さんは受け継ごうとしているのです。
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