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「日章丸」の進水式、今も語り草に 荒波にもまれた造船

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西日本新聞

 高さ70メートルのやぐらを載せた奇抜な船が7月12日、長崎県佐世保市の佐世保重工業(SSK)の岸壁を出航した。 【写真】日章丸の進水式。ドックの周りは2万人の見物人でごった返した=1962年  海洋研究開発機構の地球深部探査船「ちきゅう」。巨大地震のメカニズムを解明するため、海面下7千メートルのマントルまで掘り進める能力を持つ。人類初の壮大なプロジェクトを担う特殊船は、SSKで半年にわたる定期検査をしていた。  1962年の7月は、当時世界最大のタンカー「日章丸」(13万トン)の進水式でSSKは熱気に包まれた。巨船を一目見ようと集まった市民は2万人。今も語り草になっている。

 SSKが歩んだ道は起伏に富む。  終戦翌年の46年、旧佐世保海軍工廠(こうしょう)の施設と人材を活用し、佐世保船舶工業として誕生。「比較的少額の資本金で済み、優秀な技術や豊富な経験を生かす」と設立趣意書はうたったが、49年に早くも経営難に陥り、市営案が浮上した。  50年に朝鮮戦争が始まると、艦船の修繕で活況を呈した。休戦後に再び経営が悪化したが、50年代後半から世界的なタンカー建造ブームが追い風に。船の大型化が進み、70年代に入ると25万トン級13隻を建造した。  OB会長の久野哲(さとし)さん(73)=佐世保市権常寺町=は68年入社。搭載課に配属された。鋼鉄製ブロックをドックで組み立て、徐々にタンカーの形にする。「自分たちの造った船が、世界の海原を走るんだなあ」と感慨にふけることもあった。

 絶頂期は長く続かなかった。73年のオイルショックを機に建造キャンセルが相次いだ。経営再建問題は中央政財界を巻き込み、愛媛県の来島どっくを率いる坪内寿夫氏が社長に就任。賃金カットなど合理化を巡る労使紛争は泥沼化し、事態収拾に久保勘一知事や辻一三市長が動いた。放射線漏れ事故を起こした原子力船「むつ」の修理受け入れも全国の耳目を集めた。  危機のたびに国や政治が動いたのは、佐世保に必要な企業であったからに他ならない。  設立時に2400人だった従業員は、70年代前半になると協力企業を含め1万人に膨らんだ。造船は裾野が広く、経営の浮沈は地元経済に波及する。62年まで開かれた大運動会は、大勢の市民も一緒に楽しんだ。

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