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宇佐美貴史、天才と呼ばれた男の少年時代

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ベースボール・マガジン社WEB

京都府で名を馳せ、ガンバ大阪のアカデミーで成長した宇佐美貴史は、破壊力抜群のドリブル突破、力強く正確なフィニッシュを武器に高校2年生でプロデビューを果たし、ドイツでのプレーも経験した。キャリアを振り返れば「天才少年」のイメージが強いが、本人は小さい頃から多くのことを考え、努力を重ねてきたという。京都での少年時代の思い出や、成長の軌跡を語ってもらった。 出典:ジュニアサッカークリニック2020 取材・構成/下薗昌記 写真/毛受亮介、Getty Images

見ている先には常に家長がいた

――ご両親が熱心なガンバ大阪サポーターで知られる宇佐美選手には、幼少期からさまざまな「伝説」があります。生後8カ月ぐらいで初めてボールを蹴ったそうですが、本格的にサッカーを始めたきっかけを教えてください。 宇佐美 きっかけは、もう覚えていないです。それぐらいサッカーが僕の身近にありました。2人の兄がサッカーをしていましたが、やりたいと思ったきっかけも、興味を持ち始めたタイミングも覚えていません。ただ、一番古い記憶は3~4歳ぐらい。なぜサッカーをやりたいと思ったのか分かりませんけど(笑)、気が付いたときには、のめり込んでいましたね。 ――2人のお兄さんも、長岡京サッカースポーツ少年団(京都府)でプレーしていました。本格的に始めたのはお兄さんの影響が大きかったのでしょうか? 宇佐美 僕のサッカー人生で最初に何かのポイントをつくるとしたら、そこでしょうね。長岡京に家長昭博さん(現在は川崎フロンターレ)がいたことは、最初の大きな出来事です。長岡京に入れるのは普通は小学1年生からですけど、僕は幼稚園年長のときに加入して、7年間いました。地元のクラブだったので、ある意味、流れに乗るような形で長岡京に入ったんですが、僕が年長のときに家長さんが6年生で、あの人が背負っているようなクラブでしたね。 ――長男がドリブラーで、次男がストライカー。「宇佐美三兄弟」も当時、有名だったと聞きました。 宇佐美 でも、兄2人のことは僕には見えていなかったです(笑)。練習には一緒に行っていましたけど、見ている先には常に家長さんがいましたから。 ――当時の家長選手から何を参考にしたのですか? 宇佐美 僕が幼稚園の年中だった頃、5年生だった家長さんを見ていますけど、今、フロンターレで見せているプレーそのままですね。家長さんを見ていたことで、感覚的なものというか、センスを追い求めるようになった気がします。  僕は体が大きくて足も速かったので、ボールを前に蹴って走れば相手を抜けたんです。ゴールキーパーも、たいてい背が高くないので、少し高い位置に蹴ればすんなり決まるんですけど、僕は家長さんの姿を見ていたから、上に蹴ったら入る場面でもゴールのスミを狙って蹴っていたし、ドリブルは、どちらかというとステップワークやボールタッチの細かさで相手をかわしていました。単に蹴って走るドリブルでは中学生になったあと、周囲の選手に身体能力で追い付かれたときに抜けなくなる、ということは小学6年生ぐらいの時点で理解していました。 ――あるインタビューでも、当時スピードで抜いていくドリブラーを見て、速さだけでは将来的に通用しないと思い、細かいタッチを意識していたと話していました。 宇佐美 京都府で有名な選手でしたが、彼がボールを蹴って、走ってスピードだけで抜いていく姿を見て、僕は「この選手は中学校で厳しくなるだろうな」と思っていました。そういう発想ができたのは、家長さんを見ていたからでしょうね。  家長さんも同じようなプレーはできたと思うんですが、身体能力に頼らず、ボールの置きどころを意識したドリブルをしていました。だから僕も、「アンチ身体能力」、「アンチスピード系」という価値観になっていたんです。小学生にしてはわけの分からない、とがり方ですよね(笑)。技術や間合い、考え方が見えるようなドリブラーは好きでしたけど、ボールを蹴って、大きな歩幅を活かして抜いている選手に対しては「今は君のほうが点を取っているかもしれないけど、中学生、高校生になったときに活躍してるのは僕だ」と思っていました。「あの子、すごい」と言われるよりも、「あの子、うまい」と言われたかったのです。

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