「震災」や「被災地」から離れた次の10年をーー津波に消えた居酒屋、復活に賭けた名物店主の心意気 #これから私は
そういった意味では陸前高田の可能性は大きい。 総合運動施設「高田松原運動公園」は楽天イーグルスや川崎フロンターレなど人気球団のサポートを受けることになった。東北にしては温暖で降雪の少ない気候から、スポーツの街としての発展が期待される。 昨年10月には総数1万発を超える国内最大級の三陸花火大会が開催された。なだらかで広い湾景と山に囲まれた地形から、光の広がりや海面の反射、煙の抜けといった打ち上げ花火に適した土地として評価され、今年の開催も決まった。今後も継続的な開催が見込まれている。 農業のジャンルでも、昨年12月には発酵に特化した商業施設「陸前高田 発酵パーク CAMOCY(カモシー)」がオープンし、さらにワタミグループが運営する農業テーマパーク「ワタミオーガニックランド」のグランドオープンも4月に控えるなど、いいニュースが続く。 それに呼応するように、三陸沿岸道路も延伸し、仙台市と岩手県宮古市が結ばれるなどインフラも整ってきた。 「人の動きが出てきて、いい風が吹いてきた」 いま自分に課せられた役割は「気概を持ったこれからを生きる若いヤツらのサポートをすること」と熊谷さん。前述のタイアップやイベント、陸前高田オンラインツアーの配信に積極的に協力し、生まれ変わる陸前高田を後押ししてきた。「俺っ家」の元従業員も独立し、「参吉」「車屋酒場」「Diningしば多」「カフェフードバーわいわい」と、次々と市内に新店をオープンしている。
「震災前は独占企業みたいだったのにな、いつの間にか高田は居酒屋の激戦区になった。商売敵を育てちまったよ」 熊谷さんは苦笑いを浮かべるが、その目と語り口は柔らかだ。 「みんないい店で、みんないいやつだ。頑張って欲しいけれど、まだ負けられねえな。また借金もこさえちまった。80歳まで働かねえと返せねえ」 初代の「酔い処 俺っ家」から数えて、現在の「公友館・俺っ家」は五代目の店舗になるが、拡大や移転のたびに「まずやっぺ」と裸一貫でリスタートをしてきた。その姿勢こそが真の「復興」につながるのかもしれない。 最後に陸前高田のどんなところが好きか、聞いてみた。 「やっぱり海を感じながら暮らせるところだ。津波の被害に遭って海から離れた人もいるし、それを否定するつもりはない。でも俺は海にもらったもがたくさんある。本当にいろいろあったけれど、やっぱり(陸前)高田に戻ってきた時は感慨深かったよ。これからも海のそばで、海と共存して生きていく。またここからだ」