28歳、人気絶頂の中でバンド解散→16年後に衝撃の再結成…奥田民生(59)が「ユニコーンをまたやれる」と思ったきっかけとは
「息子」の詞も、メロディが跳ねている感じなので、《それで「いじめっこ」とか「いっちょまえ」「べっぴんさん」ってのがハマるんじゃないかと。小さな「つ」が入ってる日本語が入るだろうなと。で、「いじめっこ」という言葉をはめるとしたら、その前後はこういう内容のものになるかなと。勝手に分析してますけど(笑)》と説明している(『月刊カドカワ』1995年4月号)。メロディが先行しながら、あそこまでメッセージ性の高い詞をつくりあげたということに驚かされる。
詩をつけていく中で抱える“葛藤”
ただ、詞をつけていく作業は、奥田にとってメロディの持つ可能性を狭めてしまうものでもあるという。前掲の『ダ・ヴィンチ』誌でのインタビューでは、《メロディを作った瞬間の喜びがね、詞をつけたときにシューッて小さくなっちゃう感覚はある。もっといろんなイメージを備えたはずのメロディなのに、その言葉に決めてしまわなければいけないってことがね、悲しい。当然、別の喜びもそこから生まれてくるんだけど》と葛藤も口にしていた。 それでも、奥田のソロ曲が同時代の人たちの心に響いたことには違いない。たとえば、作家の五木寛之は当時、彼に向けてこんな讃辞を送っている。 《「息子」や「愛のために」を聴くと、決して押し付けがましくない、非常にナイーブな人生の応援歌という感じがする。阪神の大災害[引用者注:1995年1月に起こった阪神・淡路大震災のこと]とも結びついて、絶望や無常観から立ち直るために皆が何かをさがしてる時期だからこそ、今までかっこわるいと思われていた励ましの歌が、新鮮に聴こえるのかもしれないね。しかしそれは、力みのない自然な方法でなければ、絶対人の気持ちには届かない》(『月刊カドカワ』1995年4月号) 五木の言う「力みのない自然な方法」とは、まさに奥田のパブリックイメージそのものだ。現在にいたるまで彼は「肩の力が抜けている」「自然体」あるいは「ダラダラしている」といったフレーズで語られ、とくに男性から熱烈な支持を集めてきた。