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幼少期から愛情抱けず「あきらめて」 心折れた母 寝屋川監禁死事件、公判の記録(2)

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 2017年12月に発覚した寝屋川監禁死事件は、両親の監視のもと、10年超の年月を社会から隔絶した場所で過ごした果てに柿元愛里さん=当時33歳=が命を落とすという悲惨なものだった。公判や取材から見えてきた愛里さんはどんな人で、どのような幼少期を過ごしたのか。そして、親と娘の関係は、いったいどんなだったのだろうか。(共同通信=真下周)  ▽「あんたのこと映してるんとちゃう」  愛里さんは1984年10月に長女として宮崎県で生まれた。当時、父の泰孝被告は22歳、母の由加里被告は19歳。若年の授かり婚だった。  愛里さんは育てにくい子だったようだ。母子手帳には母が手書きで「泣き声が神経むき出し、怒っているようで怖い」と記していた。その後も「おうむ返し。話ができない」(2歳)「困らせることばかり。すぐに飽きたり、いらいら。じっとしている」(3歳)「食べ物中心の考え。顔色をうかがう」(4歳)「うそをつく。こそこそする。決まりどおりしか言わない」(5歳)と続く。公判では自分の気持ちを偽った行動を取るなどの二面性があったと指摘した。幼稚園に通っていた時から、不登園気味で、母は行政機関に子育ての悩みを相談していたようだ。

 5歳違いの妹が生まれる。家に保管されていたビデオ映像には、生まれたばかりの妹が映され、愛里さんが寄ってくると「あんたのことを映してるんとちゃう。はよ向こう行きいな」と母の声が入っている。7歳の時にも「こっち向かんでええねん、いちいち」と母が言い、父が「ほんまや」と同調するシーンがある。  ずっと後になって母が妹に宛てて作成中のままだった携帯メモには「あなたは親になった喜びを、お姉ちゃんは親になった痛みを教えてくれた」と記し、「(愛里は)にくたらしくて滑稽な態度しかできず、差別したが、大切に思う気持ちにたいして差はなかった」と続けた。別の機会にも「どれだけ腹が立っても絶望しても、愛里が大切という気持ちを味わっている」と心情を書き留めた。  ▽「いがみ合った夫婦の結晶」  3歳のとき、一家は滋賀県彦根市のアパートに移り住む。父はガラス製造の工員として働き、母はアルバイトに出たこともあるが、基本的には主婦をしていた。

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