バレーボール 石井優希 芽生えたエースの覚悟、自信と強さを手に
笑顔が似合う「スマイルアタッカー」
石井優希のトレードマークは笑顔だ。調子が上がらないと、ときに少し陰ることもあるが、アタックを決めたり勝利したときには、本当に嬉しそうに笑う。それでも以前は、日本代表の中田久美監督が話していたように、「しゃべらないし笑わない子」だった。それが今では一人でインスタライブを行い、にこやかにファッション雑誌にも登場する。 【動画】バレーボール 荒木絵里香のAthlete Journey 「一番変わったのは自信かな。苦しいこともいろいろ経験してきたことが自信になっているんだと思います。今は新型コロナウイルス感染症の影響で試合を見に来られない人やストレスを抱えている方がいるので、バレー以外でも何かできないかな、SNSを使って情報を届けられたらと思って。いろいろできて楽しいです」。そう言ってほほ笑んだ。
オールラウンダーへと変えたあの日の屈辱
経験が人を成長させる――。振り返ったとき、思い出されることが2つある。 一つは、あの日の屈辱だ。石井は2011年に19歳で日本代表に初めて選ばれ期待されたが、サーブレシーブに難があり、ロンドン2012オリンピックの代表には入れず、その後の国際大会でも「攻守のバランスの取れた選手になりたい」という思いとは裏腹に、攻撃を主とするオポジットやリリーフサーバーでの起用が続いた。当時、久光製薬スプリングス(現・久光スプリングス)を指揮していた中田監督は石井をサーブレシーブのできるアウトサイドヒッターに育てようと、先発で使い続けた。 リーグを連覇し自信がつき始めた頃、それは起きた。2014/15シーズンの国内リーグ、久光はレギュラーラウンド1位、ファイナル6でも無敗と他を圧倒しながら、一発勝負の優勝決定戦で敗れ、優勝を逃した。石井がサーブで狙われ崩され、さらに攻撃でも17.8%のアタック決定率しか挙げられなかったことが敗因の一つだった。 「私が崩れなければ、チームは勝てると思って……」。その日の悔しさを胸にサーブレシーブを猛特訓した。次のシーズンでも狙われ続け、リーグ最多の899本(ファイナルラウンドを含めると1203本)のサーブを受けたが、もはや大きく崩れることはなく、皇后杯で前リーグの雪辱を果たし、リーグ優勝も奪い取った。レギュラーラウンドのサーブレシーブ成功率は名手の新鍋理沙、木村沙織らに続く4位と誇れるものだった。 「それまでは狙われることに対して嫌だったし、『来ないで』というマイナスの考えでした。でも、たくさん受けるようになってからは考え方も変わって、気持ちが楽になりました」。アウトサイドヒッターとしての評価も上がり石井はリオデジャネイロ2016大会の代表を勝ち取り、木村の対角で先発出場を果たした。