「いつ大地震が来るか」ではなく「どれくらい揺れるか」を予測する強震動予測のパイオニアが語る原発と防災計画
(科学ジャーナリスト:添田 孝史) ■ 阪神・淡路大震災当時、震度は職員の「体感」で決められていた 【地図】阪神・淡路大震災の発生から3週間後になって気象庁が発表した震度7の分布図。当時はリアルタイムで震度が把握できていなかった 南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が初めて発表され、その後も各地で揺れが続いている。グラっと揺れを感じたら、すぐにスマホや放送で震度を調べる人も増えたことだろう。 今は強い揺れを記録する地震計(強震計)が日本中に張り巡らされているから、震度の分布はすぐにわかる。発表される震度で、日本地図が埋め尽くされるほどだ(地図1、2024年1月の能登半島地震の震度分布)*1 。 30年前の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)のころは状況が全く違い、震度観測点はまばらにしかなかった(地図2)*2 。当時、強震計は少なく、震度は気象庁の現地職員が体感で決めていた。 揺れの様子を詳しく知るには時間がかかり、震度7の地域が、淡路島北部から兵庫県宝塚市にかけて細長い帯状に延びていたと気象庁が現地調査をしてから発表したのは、地震から3週間もたってからのことだ(地図3)*3 。 *1 気象庁 震度データベース検索 *2 気象庁 「阪神・淡路大震災から20年」特設サイト *3 気象庁 平成7年(1995年)兵庫県南部地震に関する現地調査結果について 1995年2月7日
足元の活断層がずれ動いた時、どれだけ揺れるか、きめ細かく予測したハザードマップが普及したのも、阪神・淡路大震災以降のことだ。大震災前、神戸市の防災計画*4 では、揺れの予測は市全域で震度5強とするおおまかなものだった。 強い揺れを観測したり予測したりする強震動分野の進歩について、入倉孝次郎・京大名誉教授に聞いた。 *4 神戸市地域防災計画 平成4年度 地震対策編 ■ 急増した強い揺れの観測点 ――阪神・淡路大震災の前後で、観測の状況はどう変わりましたか。 入倉孝次郎・京大名誉教授(以下、入倉) 強い揺れ(強震動)の観測点は飛躍的に増えました。気象庁だけでなく、防災科学技術研究所がK-net(全国強震観測網)*5 やKiK-net(基盤強震観測網)*6 を全国に展開しています。大きな地震が起きた時、それがどんな揺れをもたらしたか、誰でもすぐに見られるようになっています。 阪神・淡路大震災までは、状況は全く違いました。気象庁の地震計は、各都道府県に1、2カ所しかありませんでした。激震地の神戸でも、比較的被害の小さかった山手にある神戸海洋気象台(震度6、神戸中央区)だけでした。 震度7に相当する「震災の帯」の中には、ゼネコンやライフライン企業などがいくつか強震計を置いていましたが、すぐに記録が公開される仕組みはありませんでした。だから揺れの大きさがわかるまでに時間がかかったのです。 当時は、まだ記録を紙で出力する強震計が多かった時代です。私たち研究者は強震計を設置していた企業などに一社ずつ足を運んで、紙の記録をもらって、数値化していきました。 *5 全国約1000カ所に約20kmの間隔で設置されている。 *6 全国約700カ所に観測用の井戸が掘られており、地表と井戸の底の双方に強震計が設置されている。