規定投球回は4シーズンのみも…「平成の大エース」と呼ばれた右腕は
ケガに苦しんで
斉藤の活躍は次元が違うレベルだった。06年は18勝5敗、防御率1.75、205奪三振、勝率.783で最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率に輝く。5完封もリーグトップで、平成唯一の投手5冠王に。パ・リーグ史上初の2度目の沢村賞を受賞した。ただ、読者の印象に残っているのはこの年の第2ステージ・日本ハム戦ではないだろうか。8回まで無失点も9回に失点してサヨナラ負け。斎藤はマウンドに片膝をつき涙を流したまま立ち上がれず、ナインに肩を担がれて三塁ベンチに消えた。ポストシーズンは通算10試合登板で0勝6敗。好投しながらも白星と縁がなかった。 翌07年。4月に右肩の筋疲労でファームに降格する。7月に復帰するも、10日以上の間隔を空けて登板。10月8日のクライマックスシリーズ第1ステージ・ロッテ戦の初戦に先発したが、4回5失点で敗戦投手に。これが現役最後の登板になるとはこのとき、誰も想像できなかった。 08年1月に右肩関節唇修復手術を行う。この年はリハビリに専念して翌年の開幕投手を狙うと宣言した。当時日本ハムのダルビッシュ有が契約更改で「来年はソフトバンクの斉藤さんが戻ってくるので」と対戦を心待ちにしていたが、右肩の状態は良くならなかった。10年2月に右肩腱板修復手術を受け、11年に支配下登録選手から外れ、リハビリ担当コーチに肩書きを変えて復帰を目指した。 球団も復帰が可能となった時点で選手契約を再締結する方針を示して復活を願ったが、13年7月に現役引退を決断する。9月28日に本拠地・ヤフオクドームで開催された引退セレモニー。「ケガに始まり、ケガに苦しみ、ケガに終わった18年間でした。でも僕はケガをしたことで大事な先輩とも出会い、いろいろなことに気づかされて感じることができました。今は正直ケガをしてよかったと素直に思います」と目を真っ赤にした。 プロ通算150試合登板、79勝23敗(勝率.775)、防御率3.33。野球人生の大半が右肩痛との戦いで光り輝いた期間は長くなかったかもしれないが、誰もが認める「平成の大エース」だった。 写真=BBM
週刊ベースボール