「人の不幸で飯を食う」類の仕事<イラク> 高橋邦典、25年を振り返って
昨年半ばに思うことあって、報道写真の世界から退くことになった。5年近くに渡って続けさせていただいたこの写真エッセイも、今回が最後。25年のキャリアの中、様々な国に足を運び、多くの人々と出会ってきた。最終回は、特に印象に残る経験をいくつか紹介したい。
「1秒先に爆発がおこるかも……。もし爆発がおこっても、誰も死んでは欲しくないな。でも誰かが怪我でもしないと写真にならない。10メートルほど先の爆発なら、車が破壊されて怪我人が数人でるかな。そうすれば誰も死なないし、写真も撮れるな……。もし自分の車がやられたら、一発で即死にしてもらいたいな」 何度も足を運んだイラクで米軍に従軍し、パトロールに出るハンヴィー(装甲車)に乗るたびに、こんな思いがいつも頭を渦巻いていた。不謹慎極まりない、悪魔的な思考でもあったが、それが正直な胸の内だった。それは報道写真家という仕事が、「人の不幸で飯を食う」類のものだからだ。 イラク北部のモズルでの米陸軍に従軍中の時だった。グリーン大尉という、大柄で生まれついての兵士、というような屈強の男がいた。なぜか僕とは気が合って、寝床に入る前によく話し込んだ。 「なかなかアクション(戦闘シーン)が撮れないなあ」 情勢が比較的落ち着いていたので、僕は彼と他の兵士たちに、冗談交じりによくこんな不平をもらしていた。そんなある日、パトロール中にグリーン大尉が狙撃手によって顔面を撃たれた。僕のいた場所から300メートルと離れていない場所だ。路上に横たわる彼の下に鮮血がみるみる流れ出していく。もう助からないかもしれない。米軍のイラク侵攻に反対の僕ではあったが、寝食を共にしていた仲である。僕は彼にカメラを向けるのを躊躇した。それでもなんとか シャッターを切り出すと、近くにいた兵士から罵声が飛んだ。 「クソカメラマン!これがお前の求めていたアクションショットか!」 「人の不幸で飯を食う」仕事を続ける限り、こんな葛藤から逃げることはできない。幸いにもグリーン大尉は一命をとりとめた。その晩、僕に罵声を浴びせた兵士がやってきて、こう言った。 「今日はすまなかった。興奮していたんだ。グリーン大尉のためにも、撮った写真を俺たちに分けてくれないか?」 僕は少しばかり救われた気がした。 ※この記事は「フォトジャーナル<カメラマン人生25年を振り返って>- 高橋邦典 最終回」の一部を抜粋したものです。