自衛官芸人・やす子が芸歴3年目でブレークできたワケ 平場は「人生で1番話しやすい場所」
テレビに引っ張りだこも「出ているのは見ない」
「はい~」という独特な返事や自衛官ネタで現在、テレビで引っ張りだこのやす子。23歳、芸歴3年目でつかんだブレークだが、ピン芸人ならではの危機感や芸風への葛藤があった。興味のなかったお笑いの世界を歩んでいる現在の心境について話を聞いた。(取材・文=島田将斗) 【写真】「面影がありますね」「可愛いすぎる」とファン仰天 やす子が公開した幼少期の写真 「自分の人生で1番話しやすい場所」。ひとりが好き、すぐにでもやめようと思っていた“お笑い”はいつのまにか「めちゃくちゃ好き」に変わっていた。 今やテレビで見ない日はない。しかし、自身の活躍はあえて確認しない。「自分がテレビに出ているのは見ないです。そのときの記憶が再現されて怖くて見れないんです……。なので、テレビに出ている実感はないですが、街中で声をかけていただいたりするようになりました」と謙遜する。 テレビを見ないやす子が手応えを感じる瞬間。それは仕事のオファーだ。「ゴールデンの新番組の『呼び出し先生タナカ』の収録でした。タレントさんだったり、TikTokerさんがいて、芸人は1人だけだったんですよね。じゃあ自分がツッコむしかないなって思いまして。気づいたら全部ツッコんでいました」と振り返る。 芸歴3年目のブレーク。調子に乗るどころか危機感を感じていた。自身の活動についても「いいところはネタ合わせとかでも怒られなくていい、自分で好きなようにできます。でも収録とかがあると、責任は全て自分にある。仕事を取り続けるのも自分の責任になってくるので、相方がいたら相方のせいにもできるのになと思います(笑)」と冗談を交えながらも力強く口にした。
「お笑いに興味がなかったからこそ王道ができている」
現在も即応予備自衛官であり、元は自衛隊の交通小隊で道路を作っていたというやす子。お笑いとは全くの無縁だった。 「全然興味なかったですね。山口県から京都の駐屯地に行ったんですけれど、休みの日に同じ山口の友達からなんばグランド花月(NGK)に行こうって誘われました。でも、当時は楽しみ方がわからず、あまり楽しめませんでした。お笑いが分からなかったですね」 芸人になったきっかけも特にはない。「自衛隊をやめて、ひとりになりたくてアルバイトをしているときに友達に誘われました。厳しい世界だとはなんとなくは分かっていたので、ちょっと付き合っていたら友達もあきらめるかなぐらいの気持ちで面接に。すぐやめるだろうと思っていました」と苦笑いを浮かべた。 誘ってきた相方は面接前に逃亡。同じ事務所の先輩・ハリウッドザコシショウの“裸一貫”で笑いを取る姿に感銘を受けた。そこからは強豪ひしめく芸人界を必死に走り続けている。「今はお笑いが楽しい」というやす子はキャラクターからは想像できないほど冷静に自己分析をしていた。 「千原ジュニアさんに『やっぱり3年目で出てる人はおらんな。その世代では稼ぎ頭やな』って言っていただいて。なぜか考えてみたんです」と難しい顔をする。 誰かを批判せず、真っすぐに自分の思ったことを口にする。落ち着いているだけでなく、芯の強さものぞかせた。 「自分の同年代のお笑いをやっている人を見たら、センスだったりとか自分のやりたいお笑いをやっていて、“とがっている”ネタが多いと思うんです。“とがっている”はテレビでは使いづらいんですよね。例えば“とがっている人”は、ピザを食べても『池の水の味がします』とかいうかもしれない。それよりも『おいしいです』と普通に言える方が使いやすいと思いました」 さらに「お笑いに興味がなかったからこそ王道ができているのかなと思います。テレビを見ている視聴者さんにとっては、これが良いのかなと思います」とうなずいた。