絶海の孤島・青ヶ島在住の40歳女性が語る、「日本一人口の少ない村」の“独特すぎる働き方”「週5で働きながら、天気の良い日は朝から漁に…」
「仕事がない」という理由で島から離れざるを得ないケースも
無事に島での仕事が見つかっても、仕事によっては契約期間があったり、いざ働いてみたら働き方が合わなかったりして、辞めざるを得ないこともあります。青ヶ島が好きで移住してきてくれたのに、「仕事がない」という理由で島から離れざるを得ないのは辛いじゃないですか。 本土のように様々な仕事に挑戦しながら、自分に合った働き方を見つけて暮らせる環境を、青ヶ島でも整えていかなければ、と思っています。 最近、「青ヶ島に住みたくて期間限定の工場の仕事に就いたけど、契約期間が終わってしまった。これからどうしよう……」という方から相談をもらったんです。今その方は、島の民宿で働いています。こうやって少しずつ、柔軟な働き方が広まっていけばいいなと思います。
“絶海の孤島”が生み出してきた逸品
さて、青ヶ島の産業についてもお話しさせてください。青ヶ島には、「ひんぎゃの塩」「あおちゅう」「東京ビーフ」など、いろいろな特産品があります。どれも、“絶海の孤島”と言われる独特な島の風土と、そこで暮らしてきた人々が生み出してきた逸品です。 特に「あおちゅう」は島外のファンも多く、酒づくりの季節である秋になると、青ヶ島まで製造の手伝いに来てくれる人もいるほどです。 「あおちゅう」は元々、家庭で作られていて、家庭ごとにつくり方も味も違うお酒だったんです。島には現在10人の杜氏がいますが、昔ながらの製法は現代にも引き継がれていて、作り手によって香りも味も違うのが面白いんですよ。 ただ、杜氏の世界も高齢化が進んでいて、製造中止になってしまった銘柄もあります。
産業や文化が失われていくのは悲しい
他にも、少し前まで島の特産品だった「くさや」や「はばのり」も、今はほとんど作られなくなってしまいました。どちらも、温暖化により原料となる魚や海苔が青ヶ島近海で獲れなくなってしまったことが理由だと聞いています。 時代や環境の変化によって、これまで築いてきた産業や文化が失われていくのは、やっぱり悲しい。一方で、「あおちゅう」のように、島内にも島外にもファンがたくさんいる産業もあります。 「あおちゅう」に関しては、島外から手伝いに来てくれるだけでなく、「引き継ぎたい」と言ってくれる方もいるんですよ。すべての産業を守るのは難しいかもしれないけど、こうやって協力してくれる人たちの力を借りながら、青ヶ島の文化を未来へ繋いでいきたいです。 取材・文=仲奈々 写真提供=佐々木加絵さん
仲 奈々,佐々木 加絵