「好きというエネルギーでここまでこれた」6度のオリンピックで得られたものは応援をエネルギーに変えること 現役を引退し指導者へ 元アーチェリー選手・古川高晴のターニングポイント
県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。第102回のストーリーは青森出身で元アーチェリー選手の古川高晴。 【画像はこちらから】 近畿大学の職員でもある古川。過去にはオリンピック6大会に連続出場。ロンドンオリンピックは個人で銀メダル。東京オリンピックは個人と団体で銅メダルを獲得。2024年10月、現役引退を表明した。 ■好奇心溢れる子ども時代 好奇心あふれる子供時代。興味を持つとすぐに飛びついた。 古川高晴さん 「小学校に入る前ぐらいからサッカーをして、小学校でサッカー部、途中で卓球をやりたくなって卓球部に入ってました」 負けず嫌いな古川の当時の夢は、弁護士。勝てないことにはとことん努力した。 古川高晴さん 「当時勉強が好きで、友達と競っていたので、小学校でどうしてもテストの点数で勝てない子がいて、英語が新しく始まる教科でその子に勝ってやろうと思って、英語を勉強して英語部に入って英語塾に行って、英語を頑張っていました」 ある日、運動部の応援で見かけた弓道。それがアーチェリー選手古川が誕生するきっかけとなる ■青森東高校のアーチェリー部に入部 古川高晴さん 「英語部だったので他の運動部の応援で、昔の県の運動公園を歩いてた時、弓道場の隣を通って弓道の試合を見かけたんです。かっこいいな、やってみたいなと思いました。青森高校を最初目指していて、青森高校の資料見たら弓道部があったんです」 希望の高校は難しく、青森東高校へ進学。 そこにあったのは弓道部ではなく、アーチェリー部。 古川高晴さん 「アーチェリー部があったので、同じ弓だからいいかなと思って。楽しみだったものができたという、その楽しさだけで最初はやってましたね」 根っからの負けず嫌いの性格が出て、徐々に自身の勝率を上げ、高校2年の選抜大会で全国6位になったことが自信に繋がる。 古川高晴さん 「高校2年生の時にインターハイと国体に出てますけど、それまで20位台と30位台で、どれだけ前に倒さなきゃいけない人がいるかと、何となく霧の先の目標みたいでわからなかったんですけど、高校2年の3月の選抜大会で、目の前に6人、7人さらに5人、6人だけになって、この人たちを倒せば1位になれるんだと、そこで目の前の霧が晴れた」
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