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鈴木史朗アナが回顧「長峰由紀アナの報道への熱意に驚いた」

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NEWS ポストセブン

 TBSはかつて「民放の雄」と呼ばれ、日テレやフジにくらべて報道重視だった。その影響で、1960年代から多くの女子アナを採用。その後、女性タレントの増加に伴い1969年から9年間、女子アナの採用はストップしていた。その後、吉川美代子アナと三雲孝江アナが入社。硬派路線から変化し、TBSアナのタレント化の草分けとなった。そして2003年、小林麻耶アナの登場とともに本格的な「アナドル路線」へと転換し、2009年の田中みな実アナの入社でその方向性が顕著になった──。

 時代とともにあり方が大きく変わったTBSの女子アナたち。彼女たちを間近で見てきた現場のスタッフはその変遷をどう感じていたのか。1962年に入社し、長らく同局を支えてきた男性アナウンサーの鈴木史朗氏が語る。

「僕は開局10周年の年に入社しましたが、その頃は女性アナウンサーの数が非常に多かったですね。先輩にも女性が多くて、僕が上司にいじめられていた時も高杉恵津子アナから『がんばんなさい!!』と叱咤激励をいただきました。

 女性アナウンサーが重宝された理由は、TBSがラジオ主体の会社だったからです。当時はまだラジオの方が花形で、テレビに異動するアナウンサーは“飛ばされる”なんて言われ方をされていたほどです。ラジオの時報CMや提供読みは女性の声の方が聴き心地が良いし、スポンサーからの要望も高かったんです」

 鈴木氏は7年間のアナウンサー業務を経て制作局に異動。45歳で再びアナウンス室に戻った際には、長峰由紀アナの熱意に驚かされたという。

「彼女は入社早々『モーニングEye』というワイドショーの司会に大抜擢されたんです。しかしある時、芸能スキャンダルなどを扱うことに耐えきれないと申し出て、自ら番組を降板した。その後、番組を転々としますが、入社以前から強い報道志望だったこともあって熱心に会社側に報道番組の担当を訴え続けていたんです。僕も強く推薦していたら、希望が叶った。“熱意のある社員に報道を任せる”という当時の決断は画期的だったと思います。この頃は『報道のTBS』と言われるだけの気概を感じましたね」

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