「50代なんて、もっと大人だと思っていた」54歳で亡くなった父の年齢に近づいてきて思うこと【フリーアナウンサー住吉美紀】
そんな中、父が自ら望んでカナダの移民となり、ゴルフやヨットなど好きなことに勤しみながら暮らしてくれていたことが、残された私たち家族の救いにもなった。ただ働き詰めじゃなくて、せめて晩年は人生を楽しめてよかったと。 私の人生観も決定的に変わった。人はいつ死ぬかわからないからこそ、一日一日を大切に、「今」を充実させないと、という強い意識が芽生えた。小さなウキウキわくわくを見逃さずに味わい、幸せを日々感じながら暮らしたいと思うようになった。「一度きりの人生、後悔するよりとりあえず動いてみる」という方針のもと、挑戦してみたい仕事に積極的に手を挙げたり、組織を離れて独立したり、家族が欲しいという理由で結婚相手を貪欲に探したりと、思いを行動に移してきた。
そんな私も50代。父が他界した年齢に近づいてきた。亡くなった頃の父は、どんな思いで日々過ごしていたのだろう、成し遂げたことへの達成感や、人生への達観は少しはあったのだろうかと、ずっと考えてきた。しかし、自分がいざその歳に近づいてみると、なんだ、50代ってこんなにまだまだなのか、と驚くばかり。改めて、父の死は若過ぎた。 今50代の自分は、達観どころか、俗世にまみれてジタバタしている。心は日々小さなことで揺れまくっているし、迷いも多い。達成感より、達成できてないことに気づいてしまい、むしろ焦る。なのに、体力への自信も減り始め、若い頃よりも可能性が狭まっていることを本能的に感じ、先への不安も出始める。経験と智恵という貯金だけを糧に生きていくには、社会も時代も変わりすぎていること気づき、危機感が募る。 でも、同時に、良い意味での予想外も、たくさんある。 例えば、達観していない分、まだ好奇心旺盛で、やってみたいことや知りたいこともいっぱいある。 向学心も向上心もまだまだあるし、欲だってある。欲の種類が昔と変わり、自分の中で厳選されてきたけれど、その分、残った欲は結構強い。 そして、迷いと不安の暖簾をかき分けてみると、自分なりのポリシーや生き方の指針は、少しずつ築き上げてきたかも、とも思う。 人生100年時代だとすると、半分まできた50代初め。この辺りで人生を一度、棚卸して、整理してみるのも手じゃなかろうか。 「いま与えられた状況で、なるべく日々を楽しむには、私だったらどうする?」 「選択肢が多いけれど時間と体力が限られている中で、私はどうやって選んだり決めたりしているのだっけ? 決め手は?」 「先への不安もある中で、何が心の支えになり、笑顔で過ごせているのか?」 「癒され、救いになっているもの、大切なものは何? 欠かせないものは何?」 「そもそも、何が好き?」 こんなテーマについて、自分と会話するような気持ちで心を整理し見つめ直してみることによって、50代やその後の人生のポテンシャルをもっと引き出せるのではないか。せっかく与えられた現世での時間をもっと楽しみ、味わい、「自分は案外幸せだ」と自覚しながら暮らせるのではないか。 今まで自分のことをわかったつもりでいたとしても、年齢とともに変化していること、今だから見えることもきっとある。そうやって、幸せは日々、年々、自分でつくり出すものだと思う。 父も”充実している”という気持ちで50代を過ごしていたことを願いながら、この連載で、50代の今の自分を掘ってみる旅に出たい。 読んでくださる50代の方々はもちろん、未来に50代になる方々、以前50代だった方々、それぞれの自分との会話のきっかけになるよう祈りながら。
住吉 美紀