“少しだけ”知っている人のほうが初対面より話しにくいのはなぜか? 自分の中に存在するイマジナリーな他者を現実の他人に投影してしまう理由
自分のなかにいるイマジナリーな他者
自分の悩みが、自分が想像したにすぎないものであって、現実には現実の対応があることに気がついたら、少し気持ちが楽になったようです。 自分が想像している○○さんのネガティブな感情は、現実の○○さんのものではないのですから、これはイマジナリーなネガティビティであり、イマジナリーな○○さん(他者)というわけです。 その後、○○さんの態度については、やはり子どもの取り越し苦労であったそうですが、これをきっかけに○○さんとの距離感を変えてみるようにしたところ、うまくつきあえるようになったとのことです。 人とつきあう時には人の気持ちを考えなさい、と私たちは子どもの頃からたたきこまれています。「人の気持ちを考えない人」というのは悪口で使われるフレーズです。たしかに対人関係において、他者の気持ちを考えないとうまくいきません。 しかし、考えすぎてもうまくいかないのです。現実世界に実在する他者と、自分のなかにいるイマジナリーな他者がごちゃごちゃになると、自分で自分を苦しめてしまうことも起こります。 現実世界に実在する他者にとっても、自分が思ってもいないことを思っていると思いこまれてしまったら、はっきりいって迷惑です。他者の気持ちを考えすぎることは、自分のためにも他者のためにも、ほどほどにしたいものです。 このようなことがあって以来、子どもが同じようなことで心配しているような時は、「それって例のイマジナリーでネガティブなプロジェクションだね」と言ってみたり、子ども自身も「なんかまたあれこれ気になっちゃってるんだけど、これってイマネガ(略してる!)だよね」などと言って、肩の力を抜いています。
非合理的な思いこみと精神的な疲労
「あの人の機嫌が悪いのは、自分がなにか気にさわることをしたからに違いない」「私はあの人に嫌われているのではないか」などということがグルグルと頭を回っていると、とても疲れます。そういうことを自分が考えているだけで、実際のところは確かな根拠もないのであれば、それは非合理的な思いこみです。 そのような思いこみの傾向と、対人関係における自己表現との関係から、精神的な疲労感について検討した研究があります。 発達心理学の吉村斉先生と小沢恵美子先生は、大学生を対象に、対人関係における自己表現の積極性と非合理的思いこみの関係について調査しました。 「危険や害がありそうな時は深刻に心配するものだ」「危険が起こりそうな時、心配すれば、それを避けたり被害を軽くしたりできる」といったような非合理的な思いこみの傾向が強い人は、対人態度の不安が高いことがわかりました。 一方で、合理的に思考していても、自己表現が消極的な人は、対人態度が不安定になる傾向がありました。精神的な疲労感は、非合理的な思いこみが強く自己表現も消極的な人でもっとも強くあらわれました。 しかし、非合理的な思いこみが強い人であっても、自己表現が積極的にできる人は、対人関係の精神的疲労感を解消していくことが示唆されました。 対人関係で苦労していると思っている人や、過剰な疲労を感じている人は、決して少なくないでしょう。自分のなかのイマジナリーな他人に対する非合理的な思いこみに気づくことや、上手に自己表現ができるようにトレーニングすることなどは、対人関係の苦労や疲労を解消するための有効なスキルになると考えられます。