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男装の女医・高橋瑞の波瀾の人生「あとに続く女子医学生たちのために自らを標本に」

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婦人公論.jp

◆日本人女性初のドイツ留学 後期試験にも合格した瑞は、日本橋に医院を開設します。急患第一、診察は懇切丁寧を極め、特に子どもの患者を大切にしました。まだ開業時の借金返済も終わっていない時点で、乳児院に寄付も行っています。機能性を重視して頭を五分刈りにし、二重回し(男性用の和装コート)を着て人力車で往診する姿は人目を引き、「日本橋名物、男装の女医」と呼ばれるようになりました。 順調な開業医生活でしたが、女医を侮る巡査とのトラブルがきっかけで、瑞は医学の先進国ドイツへの留学を決めます。 当時、留学といえば、優秀な男子が官費で行くものでした。津田梅子、山川捨松など、アメリカへの女子留学生は前例がありましたが、ドイツへの女子留学生、しかも私費で行こうというのは瑞が最初でした。 喘息持ちで体が弱い瑞が、借金をしてまで留学をすることに、周囲は反対しましたが、瑞は「死んでもいいから行きたい」と、ドイツ汽船に乗り込みます。しかし、当時ドイツの大学は、女子留学生どころか、自国の女子学生も受け入れていませんでした。 ベルリン大学で門前払いをされ、気落ちする瑞を見て、下宿の主人マリーが大学に直談判します。その結果、大学での聴講を許された瑞は、嬉々として勉学に励みますが、無理がたたって喀血。水葬を覚悟で帰国の途に着きます。ところが日本へ到着したときには、すっかり回復していました。 ◆お産で失われる命を救う 医院を再開した瑞は、帰国の報告を兼ね、新聞に「産科に限り貧窮者無償施療」という広告を出します。当時はお産で命を落とすことは珍しいことではなく、特に貧困層では医者にかからないまま亡くなる妊産婦が少なくありませんでした。瑞はこうした妊産婦たちを救い、死産をなくすため、無償施療を行うことにしたのです。 今日では、医学の進歩によって月経も妊娠も出産も、ある程度コントロールが可能であり、社会的にも女性が結婚、出産することが当然視されなくなりました。しかし、かつては望むと望まざるとにかかわらず、結婚することが当たり前とされ、避妊の術がないため妊娠、出産を繰り返しました。女たちは避けようのない運命を背負っていたのです。 妊娠経験があったとされる瑞もまた例外ではなかったのでしょう。だからこそ、女たちが背負った運命をせめてよい方向へ導こうと考えたのではないでしょうか。 瑞の活動は、お産による死を運命として受け入れるしかなかった女たちや家族、そして社会に一石を投じ、お産への医療介入の必要性を知らしめる契機となりました。

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