現代屈指のギターアイコン、マーガレット・グラスピーが語る「生々しさ」の美学
マーガレット・グラスピー(Margaret Glaspy)は現代屈指のギターアイコンである。みずから曲を作り、歌う彼女はシンガーソングライターと一般的に認知されており、もちろんその呼び方も間違いではないのだが、そうして生まれる楽曲のなかで彼女が奏でるギターの比重はあまりも大きく、尋常でないパフォーマンスに誰もが驚くはずだ。 【画像を見る】史上最高のギタリスト250選 1989年・カリフォルニア州出身の彼女は、2016年に発表したデビュー作『Emotions & Math』で瞬く間に知られるようになった。ウィルコがツアーに誘い、ノラ・ジョーンズがコラボ相手に選び、プライベートでのパートナーでもあるジュリアン・ラージはブルーノートと契約後の3作で彼女をプロデューサーに起用している。そんなマーガレットが昨年発表した最新アルバム『Echo The Diamond』では、ジュリアンを共同プロデューサーに迎え、デイヴ・キング(Dr:ザ・バッド・プラス)とクリス・モリッシー(Ba:ノラ・ジョーンズ、マーク・ジュリアナ)とのトリオで録音。力強く真っすぐでありながら、いつ崩れるともわからない緊張感を宿した一枚で、優れた歌ものであるのと同時に、類い稀な即興音楽でもある。 6月18日~19日、ついにブルーノート東京で初の来日公演が開催される。アルバムで聴かれるあの生々しいギターサウンドを、実際にこの耳で体感できるのがとにかく待ち遠しい。その直前に実施した今回のインタビュー。日本ではこれまで語られることの少なかった、彼女の魅力をようやく伝えられる内容になったと思う。
フォークからオルタナティブへの音楽遍歴
ー楽器を演奏するようになったきっかけは? MG:私は家族全員がギターを弾く音楽一家に育ったので、子供の頃からギターに囲まれていた。だから自分もギターを弾くことが特別なことというよりは、普通のことだと思ってた。8歳からはフィドルも弾いていて、16~17歳まで、かなり真剣に弾いていたわ。私がいたアコースティック・ミュージック/フォークのコミュニティにはかなりレベルの高いミュージシャンたちが大勢いたので、そのうち私もギターをより深く学ぶようになり、17歳頃で曲を書き始めた。バークリーに入学したけどいたのはわずか。その後NYに移り、クラブで演奏するようになり、そこからマーガレット・グラスビーの音楽を作るようになったというわけ(笑)。 ーあなたの家族はどんなギターを弾いてたんですか? MG:父はジャズが好きで、ジャズやポピュラーミュージックの曲なら、若い頃から大抵なんでも弾ける人だった。母はジョニ・ミッチェルやジェイムス・テイラー、キャット・スティーヴンスなどシンガーソングライター系が好きで、家族でキャンプに行くと曲をギターで弾いていた。兄はロックンロール好きでギターがうまかった。私は兄を見て学んだ部分がだいぶ大きいと思う。姉も当時のポップスやロックが好きで、ノー・ダウトやローリン・ヒルなど幅広く聴いていた。そんなふうにいろんな音楽や考え方に囲まれていたし、家中にギターが転がってた。 YAMAHAからFender、そして有名ではないけど十分な音が出る謙虚なギターまで。5本しか弦がないようなギターもあったし、あまりに弾きすぎてボロボロなギターもあった。それこそ各部屋にギターがあったのよ。最初ジュリアンと知り合ったばかりの頃、彼から家族のことを聞かれて、そのことを話した。「全ての部屋にギターがある家だった」って。彼に「それは珍しいね」と驚かれたけど、私はどの家にもギターがあるのが普通だと思ってた(笑)そんな家庭環境だったの。今じゃ私は、ギターと結婚したようなものだから。もうギターは家族みたいなもの。 ーそれなのに、最初はフィドルを弾いてたんですね。 MG:それは学校のプログラム。アメリカのすべての学校に音楽プログラムがあるわけではないけど、私の学校にはたまたまフィドルのプログラムがあった。音楽であることには変わりないし「面白そうだからやってみよう」と試したわけ。そんなわけで、8~16歳の私はフィドラーとして、コンクールで競っていた。弾いていたのはテキサス・スタイルのフィドル・ミュージック。 ーカントリーやマウンテン・ミュージックとか? MG:ええ、主にね。子供の頃はジャズとか、アイリッシュ音楽、スコティッシュ音楽なんかもフィドルで弾いてた。二胡の奏者から学んだこともあった。クラシックも……ほんの少しだけ。アコースティックの世界には、本当に色々なジャンルの優れたミュージシャンがいたから。私も幅広く影響を受けてきた。もちろん、一番多かったのはテキサス・スタイルのフィドル奏者、ブルーグラス、オールドタイム・フィドルの奏者だった。 ー子供の頃はアコースティックな音楽を演奏してたんですね? MG:そう。バークリーに行った後も、主にアコースティックギターを弾いていた。18~21歳になるまで。エレクトリックギターを弾くようになったのは、NYに行ってから。短期間で転向して、その後はエレキがメインで歌も歌うようになった。 ーバークリーに進学した理由は? MG:とにかく東海岸に行きたかった。知り合いもたくさん通っていたし。そうなると、カリフォルニアで育った私としては、おのずと選ぶ道はバークリーというか。それで奨学金を工面して行ったのだけど、大学には1学期しかいなかった。でも、その後もボストンに住み続けて、しばらくは仕事をしながらボストン中で演奏をした。IDもそのまま、大学の近くでウロウロしてたので、まだ通っているんだと思われてた(笑)。 ボストンはあくまでもNYに行くための経由地で、子供の頃からNYに行くことが私の唯一の夢だった。本当の意味での私の音楽学校は、駆け出しのアコースティック・ミュージシャンとして過ごしたNYでの日々だったと思う。バークリーは様々な音楽を演奏する世界中からの学生たちがいる大きな海。それはいい意味で、私に刺激を与えてくれた。そしてNYに行くことで、さらなる刺激が待ち受けていた。とても心地よい刺激だった。「私はここにいるんだ」と思えたから。 ーその頃にはもう自作曲を演奏していたんですか? MG:ええ、10代の頃はフォークソングを演奏してたけど、バークリー以降は、自分の曲を書き、自分の音楽を作ることに関心が向いていった。もちろんカバーもしたけどね。レイ・チャールズやエイミー・ワインハウスとか。だって、まだ18歳だったから(笑)。何が自分に向いているのかわからなくて、色々と試していたの。 ーレイ・チャールズはカントリーっぽい曲? MG:いや、もっとソウルフルな曲。“You give your hand to me~♪”(口ずさむ)。この曲が大好きだったから(「You Give Your Hand To Me」)。 ー世代的にオルタナティヴ・ロック、インディ・ロックも通ってます? MG:高校生になって、自分で見つけたロックを聴くようになったかな。特に影響が大きかったのはエリオット・スミス。ブライト・アイズもよく聴いた。そしてソニック・ユース、ビョークがすごく好きだった。 その頃はまだフォークを弾いていて、夏休みはフィドル・キャンプ、フェスティバル、コンサートなどに出演していたから、高校にいるときは友達が聴いてる同時代のポップミュージックが心地よかった。落ち着くっていうか。 ところが大学生になると、音楽への好奇心が一気に爆発したの。こんなにも知らない音楽があったのかって。私のコードのセンスは、子供の頃に聴いたビートルズによって形成されたと思うけど、大学に入ってからエリオット・スミスをより深く聴くようになり……代表曲だけでなく、アルバムも全部聴いて。ビョークやアラニス・モリセットも、小さい頃から大好きだったけど、その頃は兄や姉の音楽だった。でも、一人暮らしを始めてから聴き直したら、その向き合い方にアイデンティティみたいなものが生まれ始めた気がした。「自分の音楽」として聴くようになったというか。 ーエリオット・スミスはどんなところが好きでしたか? MG:すべて! コードも素晴らしいし、曲をアコギで弾くと、どこかにパンクロックに感じさせる。その二つが同時に起きることが私には衝撃だった。残酷なまでに正直な彼の曲からはとてもインピレーションをもらえたしね。彼の音楽を聴くと、ひとりぼっちじゃないんだという気持ちにさせられた。「この人は寂しいんだ。それを寂しいと言っている。それで良いんだ」って感じ。私のデビュー作『Emotions and Math』はエリオット・スミスからの影響が大きいと思う。彼のいたバンド、ヒートマイザーも好きだったし。 あと、初期ローリング・ストーンズの「とっ散らかった感じ」もすごく好き。あんなふうにふらっとスタジオに現れて、音楽を作ったらそれっきり……みたいな感じに憧れるし、自分のアルバムでもそれを実践している。ミュージシャンとスタジオに集まって録音したら、あとはあまり手を加えない。そのやり方はストーンズからの影響だね。私はただギターを弾き鳴らして、最高のミュージシャンたちとスタジオに入り、レコーディングボタンをONにするだけ!(笑) ーアラニス・モリセットもあなたの音楽性に近い気がしますが、どんなところが好きでしたか? MG:当時の音楽業界や、自分たちが押し込まれなければならなかった枠に不満を持っていた女性ミュージシャンのために、道を切り開いたのがアラニス・モリセットだと思う。同じ若い女性として、アラニスのそんな姿を見て「すごい!」と思った。彼女みたいになりたい、とも思った。何も恐れていないように見えたし、彼女が作る音楽は予測がつかない、それでいてポジティブで、一緒に歌いたくなるような音楽だし、女性の権利についても歌っている。そういうメッセージを聴き手の頭にこっそり送り込んでいるのがクールだと思う。 ーNYでエレキギターを弾くようになってから音楽性も変わったと思いますが、その頃はどんなギタースタイルを目指していたのですか? MG:最初は「アコースティック・ギタープレイヤーがエレキギターで弾いてます」という感じ。当然それしか知らなかったから。最初のギターはHarmony Stratotone Jupiter。ロックンロールというよりは、シンガーソングライターがソフトにエレキを弾いている、みたいな。 それ以降、エレキギターの知識が深まるうちに、ロックがどんどん好きになっていって。経験を積むうちに、多くのギタリストを知っていった。例えばネルス・クライン、サーストン・ムーア。ソニック・ユースは本当に大好きだった。アルバムを聴いて「どうすればこんなふうに弾けるの?」と思ってた。同時に古い人たちでも、B.B.キングやチャック・ベリーのように、ギターでロックンロール/ブルースを奏でる人たちに憧れて、自分もこんなふうにギターを前面に出した音楽がやりたいと思っていた。単なるバックグラウンドの楽器としてのギターじゃなくてね。 ーさっきから何度も名前が出てきてますが、ソニック・ユースに深い思い入れがあるんですね。 MG:実は私自身、今もまだミュージシャンとして模索していることなのだけど、ソニック・ユースのソニック・ボキャブラリーが大好き。彼らが奏でるエレキギターは単なるエレキギターではなく、ベースも単なるベースではない。ギターが、ベースが、それ以上のサウンドになっている。やってることはノイズロックでありながら、曲にはそれ以上の要素がある。今の私はどちらかというとリズムギター・プレイヤーだけれど、彼らのように「サウンドで何かができる」ギタープレイヤーにすごく憧れていて、将来そうなることにもかなり興味がある。ネルスは親しい友人だけど、彼が弾くギターはまるで別の楽器みたい。私が弾くとギターなのに、彼が弾くとノイズマシンになる(笑)。 ソニック・ユースもそう。単なるプレイヤーではなく、楽器でアートを作るアーティスト。アート・ノイズというか。彼らの音楽はノー・ウェイヴともオルタナティヴとも微妙に違う独自のもの。個人的にここ5年くらい、そういう音楽に夢中で。ノー・ウェイヴのバンドを聴くことが多い。例えばDNAとか。 ーへぇ! アート・リンゼイがいたバンドですよね。 MG:そうそう、大好き! あとはテレヴィジョンとか、スーサイドもクールで好き。ここ4~5年はまるで音楽の里帰りをしているような感覚。「こんなに好きなバンドがいっぱいいたんだ」と、知らなかった音楽の世界を未だに発見し続けている。