エラーで“事件”を呼んだ男! 中日の大型遊撃手が掲げた「テーマ」とは?/プロ野球20世紀・不屈の物語【1981年】
歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。
“事件”の顛末
プロ野球の歴史を振り返るとき、“事件史”というカテゴリーがある。乱闘や契約トラブル、不幸な事故などを追いかけていくものだ。その中に、ただの1失策にもかかわらず“事件”としてカテゴライズされてしまうものがある。通称“ヘディング事件”。ただ、そこに“事件”が持つ暗さはなく、むしろ底抜けに明るい。 “事件”が起きたのは1981年8月26日、後楽園球場だった。優勝に向かって突き進んでいる巨人と、低迷期にあった中日との一戦。主役は中日の宇野勝だった。ただ、脇役というか準主役というか、天の配剤かと思うほど役者はそろっていて、中日のマウンドにいたのは星野仙一。怒り狂っている姿が誰よりも似合う星野ではなく、たとえばクールな印象がある牛島和彦がマウンドにいたら、これほどまでに語り継がれる“事件”にはならなかったかもしれない。 中日の2点リードで迎えた7回裏、二死二塁。山本功児の打球が遊撃を守る宇野の後方へ打ち上がり、背走した宇野は捕球の体勢に。だが、打球は宇野の頭上から、宇野の頭へ。そこで角度を大きく変えたボールは左翼フェンスまで転がっていく。意表を突かれた形になった左翼の大島康徳が追いかけたものの、もちろん二走は生還、打った山本功も本塁を突いたが、これはギリギリでアウトに。本塁ベースカバーに入っていた星野はグラウンドにグラブを叩きつけた。
奇しくも星野の盟友で、このときの打者と読みが同じでもある広島の山本浩二も同じ81年に外野で“ヘディング”の失態があったが、単なる1失策として球史に埋没している。宇野の場合は、ボールを追った苦労人の大島も珍しくオロオロしたように見え、星野の激怒する姿も絶妙なスパイスとなって、プロ野球の珍プレーを特集するテレビ番組の呼び水となり、“ヘディング”の衝撃は球史に燦然と輝く(?)“笑撃”へと転化されていった。 これで一躍、人気者となった宇野の“快進撃”は続き、84年には一死満塁から右翼手の失策で出塁して一走を追い抜いてしまったこともある。ちなみに、プライベートでも「(またしても……)星野さんの乗る車に追突してしまったこともあった」(宇野)という。それでも星野とは険悪な関係にはならず、星野が監督に就任してからも「ほかの選手とは接し方が違っていたように感じました」と宇野は振り返っている。87年に移籍してきた落合博満の打撃から得るものが大きかったとも語るが、宇野とのプレーで“オレ流”の落合も試合中に歯を見せて笑ってしまうことがあり、宇野には大小のミスも笑って(笑われて?)吹き飛ばす面があったのも事実だ。それは、「中途半端なプレーはやりたくなかった」(宇野)と、ひたむきな姿勢を貫いたからだろう。そして、この1件にしても、その背景には宇野、そして中日の挑戦的な姿勢もあった。