あの「ニューヨーカー」誌の挿画家エイドリアン・トミネとは?
<日本でも一部熱狂的なファンが多い、伝説のグラフィック・ノベリストの「早すぎる自叙伝」。幼少の頃からの憧れの職業につき、はたから見れば順風満帆な芸術家の日々は「ごく普通」の悩みに溢れ、誰にとっても「あるある」で共感できる>
グラフィック・ノベリストのエイドリアン・トミネ。実際に彼の名前を知らなくとも、「ニューヨーカー」誌の挿画家、または映画「パリ13区」の原作者であると聞けば、うなずく人も多いのではないだろうか。 【写真】エイドリアン・トミネによる「ニューヨーカー」誌の挿画 そのトミネが2020年に刊行した、話題の自叙伝グラフィックノベル『長距離漫画家の孤独』がついに邦訳刊行された。 1974年、カリフォルニア生まれのトミネは日系4世。カリフォルニア大学バークレー校出身で、子供の頃からの夢であった漫画家(本人はあくまで「グラフィック・ノベリスト」と主張)にもなり、はたから見れば順風満帆に見える。しかし、この「早すぎる自叙伝」には、私たちと同じ悩みや人間関係の細かな失敗が淡々と描かれている。 漫画好きでその知識量で周囲にドン引きされていた小学生時代、受賞スピーチを考えながら授賞式に臨んでいたのに名前が呼ばれなかったとき、自分の本ではない本にサインをねだられた気まずさ、憧れのDJのラジオ番組に出るために気合を入れて一人こっそり練習をしていたのに肝心な本番で記憶が飛んでしまったこと……。 何よりも彼の苗字であるトミネ(漢字表記は遠峯)が「トーマイン」「トゥ・ミ・ネイ」「トウミン」など常に正確には発音されず、毎度のこと(病院に運ばれても!)訂正し続ける「お約束」も、読み進めていくうちに、だんだん癖になってくる。 描かれている「あるある」や失敗には過剰な自虐も卑屈さもない。だから好感と共感をもって読み進めることができるのだろう。しかし、本書を読み始めているうちに、内容とは別に何点か気になってくることがある。
仕事道具はあの日本製も
まずはじめに、なぜこの本の装丁がゴムバンド付きハードカバーの方眼紙ノートであるかということだ。実は最後のシーンでその理由が明らかになるのだが、それも含めて心地よい余韻が残るのも本書の味となっている。 次に線画の美しさである。これはデジタルツールによるものなのか? それとも特別な文具を使っているのだろうか、と。 実際、読者からの質問は多いようで、自身のインスタグラムに仕事道具を紹介しているが、日本製の文房具も何点か目に付く(何度が来日しているようなので、その時に買いためているのだろうか?)。 そしてこれはトミネ自身にはまったく関係のないことだが、邦訳が翻訳書とは思えないほど自然で洗練されているため、思わず原書の英文も確かめたくなってしまう点だ。 デジタルデバイスの普及で、もう何年も手書きでまとまった文章を書くことがなくなった人は多いはず。そんな時に、本書はトミネの線画の美しさに見惚れ、自分でも手書きしてみたい衝動に駆られてしまう。時間に追われる毎日に、別の時間軸を与えてくれるようなノスタルジックな作品である。
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部