震災前のにぎわい「失われた」 阪神大震災30年、巨大再開発に嘆く商店主ら
阪神大震災による大火で多くの建物が焼失した神戸市長田区の新長田駅南地区での再開発事業。震災30年を目前にようやく完了したが、立ち並ぶビルなどには空き店舗が目立つ。商店主らは「かつてのにぎわいは失われた」と嘆く。 駅南地区はもともと、戦災を免れた木造住宅や商店、地場産業のケミカルシューズ工場などが密集する下町で、震災によって8割超の建物が焼失・全半壊した。市は早期復興や災害に強いまちづくりを図るため、震災からわずか2カ月後の平成7年3月、再開発事業の都市計画を決定。総事業費2千億円超を投じ、商業ビルやマンション計44棟の建設を進めた。 事業では地区内の土地をいったん買収・収用し、希望者に新たな商業ビルやマンションのスペースを提供。しかし、約1600人いた地権者との交渉に時間を要した上、新たなビルが完成しても多くの地権者が戻らなかった。令和3年1月に市が公表した有識者会議の検証報告書では、計画途中で入居希望の撤回や転出が相次ぎながら、「行政内部でブレーキをかける者がいなかった」と指摘していた。 地区内の人口は震災前(約4500人)を上回る6千人余りとなったが、ベッドタウンとなって昼間人口は少ない。震災後に移住してきた40代の主婦は「商業施設や病院などもあって便利で生活しやすい」と話すのに対し、震災前の地区を知る60代の女性会社員は「人通りが少なくなった。昔の雰囲気や地域柄の良さを残してほしかった」と指摘する。 ビルと一体化して再生した大正筋商店街なども閑散とし、シャッターを下ろした空き店舗が目につく。商店主らは集客の低迷や高額な管理費に苦しんでおり、同商店街で日本茶販売店を営む伊東正和さん(75)は「新しい住人に笑顔は多いが、震災を経験した商店主らに笑顔はない」と訴え、「(市は)『もっとにぎやかな街にします』と言っていたが、自分たちからしたら何も解決してない」と憤った。