「古き良き時代」のパ・リーグ、至高のライバル対決「山田対門田」の面白さ/プロ野球20世紀・不屈の物語【1970~88年】
歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。
フルスイング vs. ストレート
「エースとの微妙な駆け引きが面白かった。テレビを見ている人には分かりっこないだろうが」……こう語った南海(現在のソフトバンク)の門田博光と、西鉄から太平洋、西武とライオンズひと筋の東尾修との「ワザにはワザ」の対決については紹介した。もちろん、そんな門田も、いつも“死球王”にピッチャー返しで打球を当てようとしていたわけではなく、紹介したエピソードは異例のものだ。実力とアクの強さを兼ね備えたパ・リーグ各チームのエースたち。その中でも、自著で門田が筆頭に挙げているのが、阪急(現在のオリックス)の山田久志だ。 門田は1970年の入団だが、山田のプロ入りは1年前の69年で、ともに48年の生まれ、学年は門田が1つ上と、ほぼ同世代だ。若手時代の山田はアンダーハンドからの快速球が武器。それが内角高めに浮かび上がると、どうしても門田は打てなかった。また門田は、山田は死球で打者にケガをさせないように投げていた、ウイニングショットのスピードボールで死球を与えることは絶対にない、とも断言。だからこそ勝負に集中できた、とも語っている。高めのストレートは真ん中であっても手を出さず、真ん中、それも低めへのストレートを、ひたすら待ち続けた。そんなボールが来なければ、その打席は終わり。山田がカーブなど投げたくないと思っている投手だ……これが門田の、山田に対する分析だった。 「打者でライバルといえば門田さんになるだろう」と真っ先に門田の名前を挙げるのが山田だ。「私は門田さんのフルスイングに対して小細工せずに真っ向勝負で挑んだ。ストレートで、どんどん攻めた。打たれたら、もっと速いボールを投げたいとストレートに磨きをかけた。成長を促してくれた打者でもある。門田さんとの対戦で自らの調子のバロメーターを計ることもできた」という。 「門田さんを四球で歩かせようと思ったことは微塵もない。門田さんの辞書にも四球という言葉はなかったのだろう。私も門田さんが一塁にトボトボ歩いていく姿など見たくはない。とにかく若いころから競い合っていた。門田さんは私をコテンパンに打ちたい。私は門田さんを完璧に抑えたい。オールスターで一緒のベンチになっても、ひと言、ふた言、言葉を交わすくらい。お互いに意識しているから、常に一定の距離を保っていた。南海と対戦するときは、勝利投手になっても門田さんに打たれたら面白くない。クソッと思う。逆に、敗戦投手になっても門田さんをノーヒットに抑えたら満足するところもあった。打たれてOK、抑えたら最高。そんなふうに思える打者は、門田さんしかいなかった」 門田について、山田は雄弁だ。