和平合意をなぜ国民は拒否? 半世紀続くコロンビア内戦とは
現サントス政権で6項目の和平合意
こうしたコロンビア政府とFARCの関係は、2010年に転機を迎えました。この年、大統領に就任したサントス大統領は、当初ウリベ前大統領の路線を継承することを明らかにしていましたが、徐々に和平協議に積極的な姿勢に転換。翌2011年には、キューバとノルウェーの仲介により、コロンビア政府とFARCの間で、和平交渉再開のための非公式会合も開かれました。サントス大統領の転進の背景には、和平合意を求めるカトリック教会や欧米諸国への配慮があったとみられます。 一方、ウリベ政権下で勢力が衰えたことで、FARCも和平交渉に積極的な姿勢に転換。市民の誘拐などが「テロ活動」とみなされ、キューバやベネズエラなどFARCに好意的だった国がこれと距離を置き始めたことも、和平交渉の進展に拍車をかけました。 この背景のもと、2012年にコロンビア政府とFARCは正式に和平交渉を再開。アランゴ政権下でのものと異なり、この和平交渉では関連するテーマごとに交渉が行われました。テーマは6つからなります。 ・農村開発(コロンビア政府が地方での開発を進め、内戦の主な原因であった貧困と格差の解消に努めること) ・政治参加(FARCが議会への参加を認められること) ・麻薬の違法な生産・取引(FARCの資金源となってきた麻薬の違法な生産・取引を停止し、あわせてコカを生産していた貧農にそれ以外の所得確保の道筋をつける) ・犠牲者への対応(FARCの活動による行方不明者の捜索、「人道に対する罪」や戦争犯罪などを裁く特別法廷の設置、犠牲者の遺族に対してFARC関係者などが当時の状況を明らかにする「真実委員会」の設置など) ・紛争の終結(戦闘終結の監視システムの設置、戦闘員の社会復帰など) ・和平合意の実施および確証(市民が和平合意の内容を確認するシステムの確立など)
和平合意は国民投票で50.2%が不支持
コロンビア政府とFARCの間でこれら6項目が合意されたことを経て、和平合意を支持するかを問う国民投票が行われました。しかし、冒頭に述べたように、50.2パーセントの不支持で、和平合意は否決されたのです。そこには、いくつかの理由が挙げられます。 まず、FARCに対する処遇が、多くのコロンビア国民にとって「過剰な譲歩」と映ったことです。コロンビア政府の推計によると、内戦による死者は26万人にのぼり、行方不明者は4万5000人、家を追われた人は約700万人にも及びます。FARCはこれらの犠牲者に謝罪の意思を示したものの、和平合意では、大量虐殺、拷問、性的暴行などの「人道に対する罪」に関わった者を除き、多くのメンバーに罪を問わない「恩赦」が適用される見込みでした。また、特別法廷にかけられる場合でも、刑の重さは最高で懲役20年となる予定でした(コロンビアは死刑を廃止している)。 大規模な内戦を経験した国では、社会の安定を維持するために当事者たちの社会復帰を促す必要がある一方、犠牲者の感情にも配慮しなければならないというジレンマを抱えがちです。コロンビアの場合、半世紀以上に及ぶ内戦によって、多くの国民の間に厭戦感情が蔓延しながらも、ウリベ前大統領のもとでFARCが勢力を衰えさせていただけに、「FARCに譲歩してでも和平を実現するべき」という機運が醸成する環境にはなかったといえます。 これに拍車をかけたのは、ウリベ前大統領を中心とする、和平合意に反対の勢力の運動でした。麻薬取引に関わった者も恩赦の対象になる予定でしたが、これに関してウリベ前大統領は、「麻薬取引は政治目的の活動ではなくテロ活動の一環」と主張し、恩赦の対象から外すべきと強調しました。 さらに、和平合意に反対の立場からは、支持率が20パーセント前後で低迷するサントス大統領が、和平合意の実現を自らの政治的立場を確立するために利用しようとしているという批判も噴出。FARC掃討に従事してきた軍や警察などが、和平合意に慎重な姿勢を見せたことは、これを加速させました。 最後に、投票日の直前にカリブ海一帯を通過した巨大ハリケーン「マシュー」による豪雨で多くの人が投票できず、これもあって投票率は37パーセントにとどまりました。この低い投票率も、結果を左右する一因になったとみられています。