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マーク・ウェーバーとレッドブル、その関係の”終焉”が始まった日:2010年トルコGP

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motorsport.com 日本版

■チームはベッテルに肩入れした? ウェーバーの不満

 ウェーバーは、事件に関してチームと話をする前に、FIAのレース後会見に臨むことになった。この時までにレッドブルのモータースポーツ・アドバイザーであるヘルムート・マルコは、ベッテルは「攻撃しなければならなかった」と主張。接触はウェーバーのせいだとしていた。時間が経つにつれ、チーム代表のクリスチャン・ホーナーも、マルコの意見に同調していったため、ウェーバーはチームの中で孤立したように感じていった。 「セバスチャンがピットウォールで、ハグされていたのをテレビで見た。その時から、僕はレッドブル・レーシングで誰が状況をコントロールしているのか、それに対して深刻な疑問を持ち始めた」  そうウェーバーは書いている。  そしてホーナー代表は、当時レッドブルのドライバー同士が仲違いするのを避けると強調していた。 「一番大切なことは、これまでにも様々なカテゴリーのドライバーたちと経験してきたが、問題を明らかにし、対処することだ。それこそが、まさに今ここでやるべきことなんだ」  しかしレース終了後のチームのデブリーフィングにベッテルが出席せず、ウェーバーがチームメイトと話すことができなかったことで、それが解決されることはなかった。ウェーバーはその状況について、道徳的な高みにあることについては満足していたものの、自身の窮地と戦うチャンスはほとんど与えられなかった。  ウェーバーは事件から数日後、レッドブル・グループの総帥であるディートリッヒ・マテシッツに対して長い手紙を書いた。そしてそれには、次のように書かれていた。 「チーム内の派閥は即時に対応する姿勢を取り、事実が確定する前に、僕に対する非難をメディアにしっかりと話した」  ウェーバーはそう記し、”チーム精神の欠如”に失望を表明した。  マテシッツがウェーバーの手紙を受け取ったことで、ホーナー代表は、ウェーバーが自身を差し置いて行なった行為だと憤慨。しかしウェーバーにとっては「マルコが全てをコントロールしていたのは、痛々しいほど明らかだった」と記している。それでもウェーバーは、マルコの影響力とレッドブル内の序列についてホーナーと話をしようと努力したが、それが報われることはなかった。 「彼は自分自身に、『どうすれば(ウェーバーとベッテル)ふたりをハッピーなままにしておくことができるだろうか……マルコも満足させておかなきゃいけない』と問いかけていたに違いないと確信している」  そうウェーバーは書いている。 「でも最終的に僕の側について、マルコを怒らせることは、彼にとっての選択肢にはなかったと思う」  ウェーバーのマネージャーであったフラビオ・ブリアトーレは、次のように予測していた。 「バルセロナとモナコを連勝した後、その状況が続くことは許されないだろうと我々に語っていた。それは最初のことではなかったが、彼は完全に正しかった」 「用済みのオーストラリア人ドライバーがタイトルを獲るのは、レッドブル・レーシングの計画には入っていなかった」  ウェーバーは結局、母国オーストラリアの偉大な先輩ドライバーであるジャック・ブラバムやアラン・ジョーンズらに続いて、チャンピオンを獲得することはできなかった。  2013年のマレーシアGPで有名な”マルチ21”事件が起きたことで、ウェーバーとレッドブルのパートナーシップは、すでに終了する運命にあった。しかしチームとの間に決定的な亀裂が入ったのは、この2010年のトルコGPだったように感じられる。

Luke Smith

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