ごみが膝まで山積した高級マンションの一室で…。コロナ禍のいま、孤独死は他人事ではない
新型コロナウイルスによって、社会のもっとも弱い人たちにしわ寄せがいった2020年。 人々の孤立と分断が深まったことを実感させられたと語るのは、孤独死や社会的孤立をテーマに取材するノンフィクションライターの菅野久美子さんだ。 菅野さんの目に映る2020年はどんな一年間だったのか。ハフポスト日本版に寄稿しました。 【文:菅野久美子 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版】 -----------------
2020年を振り返ると、新型コロナウイルスによって、日本社会に渦巻いていた、人々の孤立と分断がこれまで以上に深まったことを実感させられた一年だった。 私は、2015年から一人で亡くなり誰にも発見されない孤独死や、その背景にある社会的孤立をテーマに取材、執筆活動を行っている。 今年の傾向として、特殊清掃業者に密着していると、前年以上に遺体の発見が遅れるというケースに度々出くわすことになった。 知り合いの業者は、コロナ禍において4カ月、下手したら半年もの間、遺体が見つからないことが増えてきたと嘆く。長期間遺体が放置されたことで、故人が住んでいたお部屋は体液などが建材に浸透し、傷み、重篤化してしまう。その影響で、物件のフルリフォームを手掛けることが多くなった。 コロナ前であれば、故人が亡くなった場所や壁紙だけ清掃すればいいという案件がほとんどだったが、悲しいことに遺体の発見が遅れることで、部屋全体の解体など大掛かりな工事が必要になってしまうのだ。 新型コロナによって、人と人との接触の機会が減り、民生委員などの地域の見守り活動なども難しくなったことも要因ではないかと考えられる。 社会のもっとも弱い人たちにその結果のしわ寄せがくる。コロナ禍は、それを実感させられた1年だった。
ごみが膝まで山積みになった高級マンションの一室で…
もう一つ感じたのは、コロナ禍において中間層の孤立が深まっているということだ。 印象的な現場が2つある。 9月初旬、私は孤独死して1カ月以上が経過した分譲マンションの一室で取材を重ねていた。そこは高級マンションだった。住民の意識も高く、間取りもゆったりとしている。一人で住むには広すぎる室内で、70代の男性が亡くなっていた。 ドアを開けると、4LDKの部屋の中は、とてつもないごみ屋敷で、膝のあたりまでごみが山積し、なぜだかどこかしこも部屋中の窓という窓にガムテープで目張りがしてあった。まるで自ら、外部を閉ざすかのように――。 ごみをかき分けていくと、男性は、リビングの真ん中で亡くなっていたことがわかる。 男性は独身で、親族はすでに他界。遠縁の親族はいたが、疎遠だった。コロナ禍で、孤立感を深めていったのかもしれない。かつては上場企業に勤めており、最後の仕事は警備員で、最近は働いた形跡はなく、貯金で食いつないでいたらしい。 隣人の女性に話を聞くと、男性がごみをため込んでいたことを知っていた。晩年は体調が悪そうだったという。 この物件は、清掃作業が終わると、お坊さんが供養に入り、特殊清掃業者、マンションの管理組合の男性と私たちが立ち会った。そこに親族の姿はない。弁護士に聞くと、相続人が現れなければ、男性の住んでいたマンションや財産は最終的に国庫に帰属することになるという。 清掃費用などは管理組合が立て替えることになった。管理組合の役員たちも、自分たちのマンションで孤独死が起こり、親族も現れず、自分たちで対処することは前例がないと言って慌てふためいていたが、今日本全国でこのような事態が起こっている。 財産や不動産などの資産を持ち、経済的余裕はあるが、生前、社会から孤立している――。そんなケースに、コロナ禍の今年は幾度となく遭遇した。しかし、こういった事例は今後増えてくるはずだ。それを予感させる一年だった。