「自分のお尻から内視鏡」「人肉食のカロリー研究」イグノーベル賞、独創的な研究
自分の体を実験台にした研究でノーベル賞も
ちなみに、堀内氏ととてもよく似た研究内容で本家の「ノーベル賞」を受賞した人物がいます。その名はヴェルナー・フォルスマンでドイツの医師。1929年、当時病院の研修医だった彼は、腕の静脈から尿用のカテーテルを挿入し、心臓に先端を届けるという、世界初の「心臓カテーテル法」を自らの身体を使って成功させました。この実験が倫理的に問題視され、彼は病院を解雇されましたが、27年後の1956年に心臓カテーテル法の先駆者として認められ、「ノーベル生理学・医学賞」を受賞したのです。 自らの身体を使って「体内に管を通す実験」を行ったという点では堀内氏の業績と本当にそっくりです。イグノーベル賞はノーベル賞のパロディといわれますが、2つの賞差は案外紙一重なのかもしれません。実際、物理学賞で2つの賞を両方受賞した人もいます。 閑話休題。ただ、この堀内氏が開発した、座って行う大腸鏡検査法、患者さんは恥ずかしがってまだ誰も受けていないそうです。現在では、内視鏡検査中に見つかった病変はその場で切除するので、麻酔を使いながら行うのが一般的なのだそう。そのため、ふらついても大丈夫なように寝た状態で行うので、座位法は一般的に行われていないそうです。
人肉食は栄養目的か文化的な理由か
もう一つ興味深い受賞研究があります。「栄養学賞」を受賞した英ブライトン大学のジェームス・コール氏の「人肉食のカロリー量は、伝統的に食される他のほとんどの動物由来の食肉よりも明らかに低い」です。 このタイトルだけ見ると、いかにも悪趣味なイロモノ研究という感じがしますが、元になった論文を調べてみると、ある種のタブーに切り込んだ奥深い研究です。 多くの人にとって「共食い」や「人肉食」は、この世で最も忌まわしい、おぞましいと感じられることでしょう。それ故、これまでにも、さまざまなフィクションの題材になってきました。しかしながら、「共食い」は動物の世界だけではなく、人間の社会においてもそれほど珍しいものではありませんでした。近代以前の資料には、洋の東西を問わず人肉食に関する記述が少なくありませんし、文化圏によってはタブーですらなかったことがうかがわれます。近現代においても、遭難時などの緊急避難的なものだけではなく、人肉食そのものを目的とした猟奇殺人の記録が数多くあります。 なぜ人間は共食いをするのでしょうか? そして共食いは、どの程度人間にとって「普通のこと」なのでしょうか、あるいは特異な例外に過ぎないのでしょうか? 先史時代の人間の暮らしを知ることは、人類の本質に迫る一つの方法です。人肉食の跡が残る遺跡は比較的少なく、人類学者たちは、先史人類の人肉食はあくまで例外的なイベントだと考えていました。しかしながら、発掘と分析が進むにつれ、当初考えていたよりも人肉食は一般的であったことが分かってきました。 では、その動機は何だったのでしょうか。人類における共食いの理由は大きく分けて2つ考えられます。1つ目が栄養摂取(通常の食事の一品目)、もう1つは、文化的・社会的な理由(死者の魂を受け継ぐ儀式や闘争、嗜好など)、によるものです。文化的・社会的な理由から共食いをすることがはっきり分かっている動物は人間だけです。先史人類の人肉食は単なる食事だったのでしょうか、それとも文化的な動機に基づくものだったのでしょうか? この疑問に答えるため、人類学者たちは先史時代のヒト属(ホモ・アンテセッサー、ホモ・エレクトゥス、ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)、ホモ・サピエンス(現生人類))の、共食いの跡が残る9つの遺跡を調べました。 彼らは人肉食が栄養摂取目的だったのか、あるいは儀式的なものだったのかを知るため、脳や骨髄を取り出した跡や歯型、調理の痕跡などから推測を行いました。その結果、9つのうち、7つのサイトから栄養摂取のための人肉食の痕跡が、2つのサイトから儀式的な人肉食の痕跡が発見されました。その中の1つの遺跡からは栄養目的・儀式目的両方の痕跡が見つかりました。 しかし、現在の私たちが、人肉食の目的を正確に知ることは容易ではありません。目的がどうであれ、人肉に栄養があるのは確かではあるので、純粋に儀式目的であったとしても、本当にそれだけが目的だったかを証明するのは困難です。 また、食糧としての人肉がどれほど魅力的だったのかも重要な要素です。もし通常の狩りで得られる動物の肉に比べてカロリーがとても高いのであれば、人肉を食料とする十分な動機になったでしょう。逆にとても少なければ、返り討ちに合うリスクを背負ってまで誰かを襲って食べる動機は少なくなるでしょうし、同じグループのメンバーを犠牲にするようなことはないでしょう。