『光る君へ』藤原道長が成し遂げた“一家立三后”の天下、有名な「望月の歌」は本当に傲慢さを表した歌だったのか?
■ SNSでトレンド入りした「望月の歌」はどんな状況で詠まれたのか 「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば」 あまりにも有名な道長が残した和歌だ。「この世は自分のものであると思う、望月に欠けることがないように……」。やりたい放題だった道長の傲慢さをよく表している歌だとされてきた。 だが、こういった誰もが知るフレーズこそ注意が必要である。私は以前、別の筆名で『名言の正体』(学研新書)という本を書いて、数々の名言のルーツを探った。その結果、よく知られている言葉ほど、発言者の意図とは違った形で伝わっているものや、前後が切り取られているものなどが多く、後世で誤解されているものがかなりあることが分かった。ひどいケースだと言葉自体が捏造されていることさえある。 道長の和歌も「どのような状況で歌われたか」ということまでは、あまり知られていない。この和歌が披露されたときのことは、実資の『小右記』に記録されている。 寛仁2(1018)年10月16日、道長の三女・威子が、後一条天皇の皇后になった「立后の儀」が無事に終わると、夜には宴が開催された。いわば二次会のようなもので、貴族たちもリラックスしていたことだろう。 そんな中、道長が実資に「和歌を詠まんと欲す。必ず和すべし」(和歌を詠もうと思う。必ず返歌せよ)と声をかけた。実資は「何ぞ和し奉らざるか」(どうして返歌しないことがありましょう)と返答している。 すると、道長は「誇りたる哥になむ有る。但し宿構に非ず」(誇っている歌なのだ。ただし、準備したものではない)とことわってから、有名な望月の和歌を口ずさんだという。 実資は、「御歌、優美なり。酬答する方無し」(優美な歌です。返歌のしようがありません)としながら、みなにこう呼びかけたという。 「満座、只、此の御哥を誦すべし。元稹の菊の詩、居易、和せず、深く賞歎して、終日、吟詠す」 (みなさんでこの御歌をとなえましょう。元稹の菊の詩に対して、白居易は返歌することはなく、深く賞嘆し、一日中、吟詠していたそうです) ドラマではどうだったか。まさに『小右記』にある通りの流れとなったが、道長とまひろ(紫式部)だけに通じる気持ちもあったようだ。 満月を見上げながら歌を詠むと、月明かりが降り注ぐ中で道長がまひろに微笑み、まひろもまた感慨深そうな表情を見せた。2人が初めて結ばれた夜もまた、こんな満月の夜だった。この和歌は、2人のそんな思い出を喚起させるものだったようだ。 だが、ドラマの演出は抜きにして、この『小右記』を読んで前後を知っただけでも、少なくとも実資が道長の和歌から、傲慢さを感じた様子はない。これまで違和感があれば、遠慮なく行動し、日記にも書いてきた実資のことを思うと、優美な歌として素直に捉えられていたのではないだろうか。 道長自身やその周辺の公卿が残した日記を見る限り、道長は意外と涙もろく、エモーショナルなところがあったようだ。そんな道長が「誇っている歌なのだ」とわざわざ事前にことわっていることから「宴もたけなわの頃、場を盛り上げようとサービス精神を発揮した」というのが実態だったのではないだろうか。 ちなみに、道長は『御堂関白記』に「和歌を詠んだ。人々は詠唱した」で振り返っているだけだ。それほど特別なことだとも思っていなかったのだろう。和歌の内容すら記していない。 まさか、このときの和歌が後世でこれほど自分のイメージを形作るとは、夢にも思わなかったことだろう。この放送後、SNSでは「歌を詠んだ道長はどんな思いだったのか」について、さまざまな意見が飛び交い、「望月の歌」がトレンド入りした。 最終回でも違和感がないような回だったが、ここからどんな物語が展開されるのだろうか──。次回の「はばたき」では、意外な人物が再び登場する。 【参考文献】 『新潮日本古典集成〈新装版〉紫式部日記 紫式部集』(山本利達校注、新潮社) 『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫) 『現代語訳 小右記』(倉本一宏編、吉川弘文館) 『紫式部』(今井源衛著、吉川弘文館) 『藤原道長』(山中裕著、吉川弘文館) 『紫式部と藤原道長』(倉本一宏著、講談社現代新書) 『三条天皇―心にもあらでうき世に長らへば』(倉本一宏著、ミネルヴァ日本評伝選) 『偉人名言迷言事典』(真山知幸著、笠間書院)
真山 知幸