「50歳をすぎて歌う『深夜高速』はヤバい。死ぬってことがよりリアリティを持って…」 フラワーカンパニーズの名曲はなぜここまで愛され続けているのか
「深夜高速」名曲誕生秘話 #2
「深夜高速」の発表によって、バンド活動がいい方向に上向きはじめたフラワーカンパニーズ。大ヒットしたわけではないが、発表から20年、なぜここまで愛され続けているのか。来年には10年ぶり2度目の武道館公演を発表したバンドの現在地を、ボーカルの鈴木圭介に聞く。〈前後編の後編〉 【画像】2004年にリリースされた「深夜高速」1曲だけカバーの、常識破りなトリビュート・アルバム
バンドの快進撃…全曲「深夜高速」のトリビュートを発表
2004年にリリースされた「深夜高速」が、インディーズ活動の大きな原動力になったフラワーカンパニーズ(以下フラカン)は、順調にライブの動員を伸ばし、「アンダーグラウンドだが、すごいライブをやっているバンド」として、同業者やロックファンの間で評価されるようになる。 おもしろいB級バンド、というイメージから脱却できなかった、第一期メジャー時と大きく変わったのは、そこだった。 その後、ソニー・ミュージック内のアソシエイテッドレコーズから契約の話があり、2008年にメジャー復帰。 2009年には『深夜高速-生きててよかったの集い-』というアルバムが作られた。斉藤和義、金子マリ、怒髪天、泉谷しげるなど11組のアーティストが、「深夜高速」1曲だけをカバーしているという、常識破りなトリビュート・アルバムだ。フラカンもセルフ・カバーした「2009年バージョン」を収録している。 当時をフラカンのボーカル、鈴木圭介はこう振り返る。 「あの企画は、レコード会社のA&Rのスタッフのアイデアで。『え、そんな企画あり?』って思ったんですけど。当時は誰も……海外ではあったみたいなんだけど、日本ではなかったんじゃないかなと。こちらはそのアイデアに乗っかっただけですね」(鈴木圭介、以下同) 9年間続いた2度目のメジャー期の間に、フルアルバム4作、ミニアルバム1作、ベストアルバムやトリビュート・アルバム等を5作リリースし、2015年には初となる日本武道館ワンマンも成功させたフラカンは、2017年にインディーズへと戻り、自らのレーベル「チキン・スキン・レコード」から作品を発表するようになる。