コシノジュンコのキャリアと結婚観「主婦という感覚はなかった。学校の先生にパリコレのスケジュールを提出したことも」
戦後、経済の発展によって日本人は前例がないほどの“自由”を手に入れた。女性の生き方の模範となる成功例が少なかったはずの時代に、働き盛りだった女性たちはどんな幸せを求め、どうやって人生を切り開いてきたのか? コシノジュンコと息子のツーショット【写真】 激動の時代を乗り越えてきた先人たちの声が、きっと令和を生きるOLたちへの応援歌となる。至極の名曲(人生)を集めることを目指して、社会学者の古市憲寿さんによる対談連載! 今回は1970年代から世界的なデザイナーとして活躍するコシノジュンコさんが登場!
古市憲寿がコシノジュンコさんに聞く「キャリア、結婚観について」
姉と比べられるのが嫌で画家を目指していた時期も ■古市 「コシノさんって子どもの頃から前向きで元気だったんですか?」 ■コシノ 「いいえ、昔は地味でしたよ」 ■古市 「幼少期からデザイナーになりたいと思っていたんですか?」 ■コシノ 「NHKの『カーネーション』というドラマでも描かれましたが、私は20歳で洋装店を開業した母親に女手ひとつで育てられたんですよ。それで、3学年上の姉が優秀だったものですから、何かと比べられてしまうのが嫌で嫌で。姉とは違うことをやれば比較されないと思って、画家を目指したんですよね」
■古市 「そっちの道でも大成功していたような気がしますが、途中で諦めてしまったんですか?」 ■コシノ 「だって画家って、だいたい死んでから時間が経って有名になるし、現役時代はわびしい生活を送っているでしょ。そんな虚しい人生は私には合わないと思って、一気に冷めちゃいました。 でも、近年はプライベートで絵を描くのが楽しくて、たくさんの方が購入を申し出てくれるんですよ。洋服のデザインと同じで、ロマンティックで可愛らしい絵が描けないから、主婦受けはイマイチなんですけど(笑)」 ■古市 「昔から専業主婦になりたいという願望はなかったんですか?」 ■コシノ 「一回もないですね。女系家庭でしたから、女が仕事をするのは当たり前。それ以外の選択肢は知らなかったし、結婚してからも自分が主婦という感覚は持っていなかったです。仕事優先で生きていたから、息子の学校の先生や同級生の母親からはたぶん疎まれていましたよ。 だからと言って静かにしているのも癪(しゃく)だから、先生にパリコレのスケジュールを提出して『父兄で集まるならこの日以外にしてください』なんて言ったことも。でも、先生には同じ働く女性同士分かってもらえた部分もあったかな」 ■古市 「パリコレのスケジュール! 格好いいですね。お母様の気持ちのいい主体性は、コシノさんにも受け継がれていそうですね」