【映像】“松井5敬遠”28年後の馬淵×林対談 「勝負になったら敬遠するかも」作戦は山下監督へ事前に伝えられていた(第1回)
製作・著作/毎日新聞社
高校野球史に、今も引き継がれる記憶がある。1992年8月16日、第74回全国高校野球選手権大会2回戦、明徳義塾(高知)が星稜(石川)の4番・松井秀喜(元米ヤンキース)に一度もバットを振らせないまま勝利し、物議を醸した「5打席連続敬遠」だ。あれから28年、当時から指揮を執る明徳義塾の馬淵史郎監督(64)と当時2年生遊撃手で出場した星稜の林和成監督(44)が、ウェブ会議システム「Zoom(ズーム)」で対談した。5打席連続敬遠の真相や甲子園初戦20連勝を誇る馬淵監督の試合の極意などを語り合った。2人の対談の模様を動画とともにお伝えする。【構成/毎日新聞社 安田光高】 【写真特集】「松井5敬遠」明徳vs星稜の打撃記録を振り返る
松井だけ「プロがいるという感じ」
92年夏、就任3年目で2度目の甲子園に臨んだ馬淵監督。当時36歳の青年監督が敬遠策を取った理由は、強打者・松井の存在に加えて、試合の組み合わせが大きく影響した。 馬淵監督 うちだけが唯一、(対戦相手が決まっていない)2回戦からの登場。たまたま1回戦の星稜と長岡向陵(新潟)の勝者を待ち受ける組み合わせになった。
星稜は91年秋の明治神宮大会で優勝。翌92年春はラッキーゾーンが消えた甲子園で、松井が1回戦の宮古(岩手)戦で2打席連続を含む1大会3本塁打の大会タイ記録を達成。夏は優勝候補の一角だった。 馬淵監督 (1回戦は)星稜が勝つだろうと。私は神戸のノンプロにいたので、星稜の練習を神戸製鋼のグラウンドに見に行き、長岡向陵との試合も見た。ちょっと松井君だけ、プロがいるという感じだった。 敬遠策は組み合わせが決まった段階から考えていたという。ただ、敬遠ありきではなく、状況を見て判断しようとした。
馬淵監督 全打席、はじめから敬遠するというわけではなかったですね。勝つ可能性があるなら敬遠もするぞ、と最初から公言していた。山下(智茂)監督にも『勝負になったら敬遠するかもしれませんよ』と前もって言っていた。 馬淵監督は、星稜とのチームの力差を感じていた。敬遠策はそれを埋めるための作戦だった。 馬淵監督 (1回戦で勝利したチームを2回戦で待ち受ける)あの組み合わせは難しいよ。何年か前に勝率を聞いたけれど、ほとんど待ち受けるチームが負けている。よっぽど力の差がない限り、1回戦から(勝って)きた方が強い。大会7日目は(開幕の)1週間前に甲子園入りしているから、2週間ほど練習だけ。ましてや試合もできない。そういう状態でモチベーションを保つのが大変だった。