2020年に見えたこと。「もはや国境は変化の防波堤にはならない」
『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが2020年を振り返って見えたこととは――? * * * 2020年は世界中が大変な年でしたが、とりわけ居心地の悪さを感じていたのは「変化を望まない」「今までと同じ時代が続いてほしい」タイプの人々だったのではないかと推察します。否応(いやおう)なく押し寄せる変化への違和感、焦り、憤り――断末魔の叫びが社会のあちこちから聞こえました。 そういう意味で、11月末に公開されたナイキジャパンの広告動画の"炎上"は、この1年を象徴する事件でした。動画の内容は、学校や社会で差別を感じているアフリカ系日本人や在日コリアンなど3人の少女が、サッカーに打ち込むことで壁を乗り越えようとするさまを描いたもの。 素晴らしい内容だと評価する声も多い一方、「日本には差別などない」「他国ではもっとひどい差別があるのに、日本を標的にするな」といった批判も噴出しました。 表現に関する考え方、感じ方は人それぞれですから、批判があること自体は理解できます。ただ、それにしても、「この内容でそんな怒り方を......?」というのが僕の率直な感想。例えば1年前の「あいちトリエンナーレ」の事件と比較しても、多くの人の"怒りの沸点"が相当下がっているように感じられたのです。 おそらく、その根源的な理由はコロナ禍とは関係ありません(トリガーにはなっているでしょうが)。世界がボーダーレスになりつつあるなか、「社会は変わる必要がある」という本当の問題を直視せずに甘い麻薬のような右派ポピュリズムに酔い続けた人は、いよいよ押し寄せてきた現実にのみ込まれそうな感覚を持ち始めているのでしょう。この感覚はアメリカのトランプ支持層とも似ている部分があると思います。 変化を嫌う人は、変化している現実から目を背けます。すでに浦賀沖に漆黒の蒸気船がいて、技術力ではとうていかなわないという抗(あらが)えない現実を脇に置いたまま、空想の世界で美学を貫こうとした幕末の尊王攘夷の志士のように。