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忘れられた「お笑い第2世代」 60歳山田邦子はテレビから“消えて”何をしていたか?

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文春オンライン

 日本テレビ系『笑点』では前半、落語や漫才、コントなどジャンルを問わず、芸人がネタを披露する演芸コーナーが設けられている。このコーナーに今年1月、山田邦子が芸歴40年にして初めて出演した。そこでは、まずバスガイドに扮して「右手をご覧くださいませ、一番高いのが中指でございます」というデビュー当時のギャグでジャブをかましたかと思えば、さらには中村玉緒、天龍源一郎、瀬川瑛子など話が聴き取りにくい人のモノマネで昔話「桃太郎」を語るなど、いくつかのネタを畳みかけるように披露する。その間とテンポのよさは、芸人として健在ぶりをうかがわせるに十分だった。その山田はきょう6月13日、60歳の誕生日を迎えた。 【写真】懐かしい! 28年前に“確定申告”する山田邦子など、この記事の写真を見る(全6枚)

“お嬢様学校の優等生”が芸人デビューするまで

 1960年、東京に生まれた山田は、学校では優等生で通し、小学3年から短大2年まで級長を務めたという(※1)。中学から短大はお嬢様学校として知られた川村学園に在籍する。お笑いを始めたのは短大時代、親友と早稲田大学の寄席演芸研究会に入ったときだった。研究会主催の落語会で漫才を演じるとすぐに人気を集め、テレビへの出演依頼が来るようになる。だが、相方だった親友には断られ、ピンで出演した。彼女としても当初はテレビ出演はあくまでバイト感覚で、短大卒業前には父の知り合いの会社に就職も内定していた。それが前後していくつかの芸能事務所からスカウトを受け、デビューの方向で話がどんどん進んでいく。ついにはドラマのレギュラーが決まり、収録は1週間に4日はかかると知って、就職をとりやめた(※2)。  こうして1981年、山田はドラマ『野々村病院物語』(TBS系)で芸能界にデビューする。同年にはフジテレビでバラエティ『オレたちひょうきん族』がスタート。女芸人で同番組に初期から1989年の終了まで出演を続けたのは彼女ぐらいだろう。そもそも女性のピン芸人からして珍しい時代だった。男だらけの番組にあって、女を捨てて下ネタをやることも少なくなかった。1985年には坊主頭にして驚かせる。いまならファッションとして世間にもすんなり受け入れられそうだが、当時としてはさすがに突飛すぎた。それでも本人は、坊主にした理由を訊かれ、肩まであった髪を手入れするのが面倒臭くなっちゃってと、あっけらかんと答えている(※3)。どこか醒めたところのあった彼女を、『ひょうきん族』で共演していた事務所(太田プロダクション)の先輩のビートたけしは当時、《神経質な人みたいだね。頭も悪くないし、開き直って芸するってことを自覚してる人だ》と評していたという(※1)。

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